07.番


「お取り込み中だった?」

 蹴破られたドアの向こうから現れた五条悟の姿に、は色を失う。七海は彼女から体を離し、「五条さん」と努めて冷静に呼びかけた。
 アイマスク姿の五条は、立ち尽くす二人の脇を通り抜けて部屋の奥へと進むと、丸テーブルの上に長方形のケースを置いた。そうして、人差し指でケースをトントンと打ちながら言う。

「緊急抑制剤。硝子の足じゃ遅いだろうから、僕が代わりに届けに来たよ。ごめんねぇ。うちのアレが暴走しちゃったんだって?」

 は視線の置き場がないのか、床に散らばる破壊されたドアの木片を見つめている。動く気配のない彼女を横目で確認した七海は、五条の方へ進み出る。注射器の入ったケースを取ろうと手を伸ばした七海に、五条がハッと笑う。

「もう打っちゃうの? せっかくのボーナスタイムが終わっちゃうよ?」
「……妻が妻なら夫も夫ですね」

 くくっ、と喉を鳴らして笑った五条は、「そうだ」とポケットを探る。

「ほら七海、落とし物」

 言いながら、七海の肩にネクタイを掛けた。いつの間に拾ったのか、それは先ほど七海が自ら外したネクタイだった。

「私も五条さんに渡すものが」

 七海はジャケットの内ポケットに手を入れる。五条は「何ー?」と首を傾げてみせる。しかし目の前に突きつけられた物に、ぴたりと制止した。七海が五条の眼前に出したのは、エコー写真だった。

「あーこれね、はいはい」

 五条は飄々とした口調を崩さぬまま、七海から写真を受け取る。

「……おめでとう」

 か細い声。が発したその言葉に、五条は顔を向ける。視線が合った瞬間、は怯えたように目を閉じた。
 しかし彼女が次に瞼を上げたとき、そこに七海はいなかった。
 きょろきょろと辺りを見渡すは、破壊されていない客室のドアに「え?」と声を漏らす。

「着拒してるでしょ。家も変わった」

 耳元で聞こえた言葉に、はびくんっと肩を上げる。五条だ。彼はを連れ、一瞬のうちに部屋を移動したのだった。

「僕から逃げられると思ってんの?」

 低く抑揚のない声だった。は五条から距離を取りつつ、言葉を捻り出す。

「何言ってるの? 運命の番と結ばれて、子どもも生まれる人が――」
「結ばれたと思ってる?」
「……だって、結婚指輪――」
「アレのうなじ、見なかった?」

 は「え?」と眉をひそめる。そんな彼女の反応に、五条はうっすらと笑みを浮かべる。
 
「あと僕さ、アレとはセックスしてないよ」

 何が言いたいの。は探るような目で五条を見つめた。しかし五条は答えを示さない。との距離を詰めると、アイマスクを下げ、声を低めて言った。

「七海とどこまでやった?」

 は唇を噛み締めた。その頬は上気し、目も潤んでいる。そんな彼女の状態に、五条は目を細めた。
 そうして、彼女の頬を右手の親指と人差し指の間で挟むと、ぐっと上を向かせる。強引に視線を合わせたかと思えば、唇を押し重ねた。

「っふ! ん、んぅ、っ……!」

 角度を変えながらの深いキスに、は苦しげな声を漏らしながら五条の胸を叩く。以前までの彼女なら、舌を絡め取るようなキスに力をなくし、なされるがままに体を開いていただろうが、今は違った。発情促進剤を投与されたせいで肉欲に溺れかけているはずなのに、五条から離れようと必死にもがいている。

 パシッ――。

 乾いた音が響く。
 彼女が五条の頬を叩いたのだ。

「私たちもう別れたんだよ。ねえ、悟……分かってよ。もう全部終わったの」

 五条は叩かれた頬を押さえていた。俯き加減のその顔にはどんな表情が浮かんでいるか、定かではない。
 この隙にと思ったがドアに向かって駆け出したとき、

「っ!」

 腕を強く引かれ、部屋の奥へと連れ戻される。抵抗も虚しく、彼女の体はベッドに押し倒された。五条は彼女に馬乗りになり、両手首をベッドに縫い付けるように押さえ込む。
 
「もう私は必要ないくせにっ! 離して!」
「やだ」

 ベッ、と舌を出す五条に、は怒りと困惑が入り混じった顔をする。五条は彼女に顔を寄せ、首筋を舐めた。体温の上がっている彼女は、突然襲った舌のざらりとした感触と生温かさに、ピクッと背中を跳ね上げた。

「んぅ、っ」

 ぢゅっ、と首を吸われて声を漏らした彼女は、自分の口を覆う。
 五条の唇は白い首筋をやわやわと喰みながら、うなじの方へと向かっていく。そこで彼女は「ちょっと」と声を尖らせた。

「まさか……番にするつもり?」

 うなじを噛もうとしている。そう察したのだろう、彼女は体を左右によじり、なんとか五条から解放されようと抵抗する。

「やめてよ! そんなの、っ、そんなの――私には……生き地獄だよ」

 最後の方は声が掠れていた。彼女の目からは涙がこぼれ出ている。五条はその涙を指で掬い取りながら言った。

「好きだよ。アルファとかオメガとかそういうのは抜きにして。一人の人間として、キミを欲してる」

 彼女は瞬きを忘れたように五条を見つめ、そうして、ゆっくりと目を伏せた。
 五条が彼女の首筋に歯を立てようとしたとき――ドゴンッ、という衝撃音が響いた。を呼ぶ声が近づいてくる。七海だ。
 ベッドルームにたどり着いた七海は、ベッド上の五条とに目を留め、グッと拳を握り締めた。

「行きましょう」

 は今にも泣き出しそうな顔をした後、五条を見上げ、再び七海の方を見た。