02.運命を呪う男


 七海さんが居眠りなんて珍しいですよね。そんなヒソヒソとした声に気付かぬふりをしながら、七海建人は目を閉じ続けていた。
 休憩室には七海の他に三、四人の術師がいる。各々が任務の報告書を作成したり雑談をしたりしながら、ソファーに座って腕と足を組んだ状態で眠る七海を盗み見るようにしていた。というのも、七海という男は待機時間を嫌うからだ。そんな時間があるならいっそ早退させてほしい。待機とはつまり、時間だけを奪われる拷問のようなもの。
 そんな七海が今、待てを喰らって、することもなくただ目を閉じているのだから、周りの同僚たちは物珍しげな視線を向けているのだった。
 七海を待機させているのは、無論――。

「おっまた〜」

 バァンとドアを開けて入ってきた五条悟に、休憩室にいた七海を除く術師たちは背筋を伸ばした。

「うっそ、七海寝てた? お疲れモード? やだねぇ歳取ると疲れやすくなって」
「……人を待たせておいて、最初にかける言葉がそれですか」

 めんご、と悪びれた風もなく手を合わせた五条は、七海の隣に腰掛けると、チラチラとこちらに視線を向けていた他の術師たちに言う。

「あれ、みんなまだ行かないの?」

 訳すと「さっさと出ていけ」だ。それを悟った術師たちは、慌てて部屋を後にした。
 七海は腕を組んだまま、深めのため息を吐く。

「ここは高専所属の術師のための休憩室ですよ。他に聞かれたくない話なら、ここではなく五条さん個人の部屋に呼ぶなりしたらいいでしょう」
「僕個人の部屋に呼んだら、あの二人デキてる〜って噂が立つと思うけど、それでもよかった?」
「……で、何の用ですか」

 五条はおもむろに目隠しを下げ、七海を横目で見やる。

「七海ってさ、番いるの?」

 まるで嘘は許さないとでも言うように、空色の瞳で射抜くような視線を向けてくる。
 七海は、サングラスをぐっと押し込めながら言う。
 
「いません」
「じゃあ番になりたいと思う相手は?」
「五条さん。一体どう答えればあなたにとって都合がいいんですか」
「いると仮定して話すから、一旦いるって答えて」
「……いません」
「意地悪だねえ」

 ハッと短く笑った五条の隣で、七海は組む足の左右を入れ替える。
 七海は待った。五条が何か言いたげにしている。おかしいなと思った。いつもの五条悟なら、思ったことをすぐ口にするのに。それが不謹慎なことであれ、不躾なことであれ、なんでもだ。それが今は、口に出すのをためらうように目線を下げ、瞬きだけを繰り返している。
 会話の流れから察するに、番にまつわることだろう。五条が結婚したらしいとは聞いていた。相手は運命の番だと。術師としてこの世界に戻ってきてまだ日が浅い七海は、それ以上のことを知らないし、別に知りたくもないと思っている。

「番になりたいと思う相手がいるのに、運命の番と出会ってしまったら、七海はどうする?」

 五条の左薬指には指輪がはめられていた。彼はそれを右の手でいじりながら、そう尋ねた。

「どうして私にそんなことを聞くんですか」
「僕の知ってるアルファの中で七海が一番理性的だから」
「……理性的、ですか。運命の番を前にしたアルファは、理性では制御できなくなると聞きますが」
「七海なら大丈夫でしょ」

 何を根拠に。七海は、はあっと息を吐く。
 運命の番。都市伝説だと思っていたが、隣に座る男はその運命と出会い、結婚した――らしい。結婚相手の名前も顔も知らないし、五条自身が左薬指の指輪以外に一つも既婚者の匂いを感じさせないので、偽装結婚だったとしても驚かない。そう思っていたが、こんなことを聞いてくるということは、偽装ではなく本当に結婚したのだろう。そして、運命の相手とは別に、番になりたい相手がいたのだろう。七海はそう察した。

「体ではなく心が望むことを優先します。……それができればの話ですが」

 言った後で、ふと気づいた。この回答が彼以外の誰かを傷つけることになってはいけない、と。

「でも五条さんはもう無理ですよ。結婚したんでしょう。それなら、奥さまを大切に」

 五条が「堅物だね」とぼやいたので、七海はすかさず「理性的な答えが聞きたかったのでは」と言い捨てた。

「七海がもう少し早くこっちに戻ってきてくれてたら、違ったのかな」
「……はい?」
「その答え、三カ月前に聞きたかったよ」
「人のせいにしないでください。それに今のは庶民である私個人の考えであって、五条家当主のあなたであれば事情もまるっきり異なるでしょう」

 五条は笑った。その手は、いまだに左薬指の指輪を触っていた。まるで、外そうにも外せずにいるような、そんな仕草だった。



 ――そんなやりとりをした、数日後のことだった。
 七海建人も出会ってしまったのだ、運命の番に。

 一目見て、本能的に分かった。抑えようにも抑えられない衝動に、喰い尽くされてしまいそうだった。

「七海はさ、番になりたいと思う相手いる?」

 家入から聞いたのは、彼女の名前。それ以上のことは知らない。
 それでも七海は悟ってしまった。あの日、休憩室に入ったとき。彼女は五条と一緒にいた。二人の醸す雰囲気、窓から飛び出して行った彼女を追った五条。
 そして今――目隠しを外してこちらを見おろしながら静かに聞く五条の表情。すべての点が繋がった。

「いません」

 だから、咄嗟にそう答えた。
 そんな七海に、五条はフッと頬を緩めた。しかしその目は少しも和らぐことなく、七海をまっすぐに射抜いていた。

「そっか。じゃあそのままでいてよ」

 五条が望んだ相手は、彼女だったのか。

 ――ややこしいことになってしまった。

 七海建人は、自らの運命を呪うのだった。




(2024.07.16)


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