――ああ、そうだ。そういえば昔、こんなことがあった。

「おい誰だ今なんか飛ばしてきたヤツ! ぶっ殺す! 俺は目に入ったやつ全員ぶっ殺す!」

 小さなテレビ画面に向かって口悪く罵りながらコントローラーをがちゃがちゃと動かす悟は、「こンのタコ野郎ども」と苛立ちが止まらないようだった。悟が夢中になっているのは、ゾンビと化した村人たちを倒しながらミッションをクリアしていくサバイバルホラーゲーム。一人プレイのそれを自室から持参して「今日もお前の部屋でやっていい?」と返事も聞かず上がり込み、テレビを独占して気が済むまで遊べば、「目ぇ疲れた」とそのまま寝落ちする。そんなことが数日続いていた。自分の部屋でやればいいだろう、と何度か言ってみたが、「それだとつまんねぇもん。傑が横からいろいろ言ってくんの込みで楽しいんだよこのゲームは」と悪びれずに返す。それに呆れ笑いながら、まあいいけど、と言えば、悟はニカッと笑うのだった。

「悟、さっきの棚にアイテムありそうだったよ」
「知らねえ! 俺はあの犬畜生を殺す!」

 悟は敵を一人残らず殺したがるタイプで、私はアイテムを抜かりなく集めたくなるタイプだ。プレイスタイルがまるっきり異なる。わざわざアイテム収集をするなんて時間の無駄だと思っている悟は、弾薬を取り逃がして「やっべ! 弾切れだ! ナイフでいけるか? ……いけねぇ!」と焦ったり、回復薬を取り逃がして「あー死ぬ死ぬ! ほんっとこいつ堪え性ねぇよな!」と主人公のライフゲージに不満を吐いたりする。「ちょっと休憩するから傑やってて」とコントローラーを託してきたときには、私がアイテム収集に徹していると「そんなのいいから殺せよ!」と煽ってくる。戦うためには備えも必要だよ、と諭そうとすれば、「いやお前のそれは度が過ぎてるって。収集癖があんだよな傑は。術式と一緒」と笑った。どうやらこのゲームのプレイスタイルには気質が表れるらしい。

「あんたたち二人ってほんとタイプ違うよな。なのにつるんでんの、なんで?」

 いつか、硝子が「タバコ切らしたから分けてくれ」と部屋に来たとき、ゲームをする悟とその横でアドバイスをする私の姿を見てそんな疑問を吐いた。
 なんで、か――。

「違うからうまくやれてるんじゃないかな」

 淀みなく答えた私に、硝子は「ふうん」と、自分から聞いておいて特段関心がなさそうな返事をした。
 
「おい傑! くっちゃべってねーでこっち見ろって、ボス戦始まんぞ!」
「はいはい頑張って」

 違うから、うまくやれてた。――そう思えていた、あの頃。

第七話 変わりゆくもの


 悟と傑、硝子は三年となり、大学を卒業したは正式に高専の寮母となった。
 悟と傑はそれぞれ単独任務にあたることがほとんどだったが、傑はたまに七海や灰原と現場に赴くようになった。後輩指導を頼む、と夜蛾から言われてのことだった。悟は後輩を付けても一人で呪霊を祓ってしまうので、指導にならないのだという。無理もない。今の悟は、自らの力を高めることに夢中だった。

「やだよ!」
「いいからやれって!」

 不意に聞こえてきた声に、廊下を歩く傑は足を止めた。
 この声は、悟とさんだ。そう思い、食堂の方へと向かう。

「だってもしものことがあったら、私が五条悟殺しの犯人として呪術界からお裁きを受けるでしょ!」
「んなことで死ぬようなヤワじゃねぇよ俺は!」

 食堂に入ってみれば、悟とが言い争っていた。傑は「なんの騒ぎ?」と近くに立っていた硝子に尋ねる。

「五条がに、自分に向かって包丁と生米を一緒に投げろってせがんでる」
「……は?」
「あっ夏油くん!」

 助けを求めるような目を向けるは、片手に包丁を握り、もう片方の手には生米の入ったカップを持っていた。
 傑は、縋るような声でもう一度「夏油くん」と呼んだの方へと歩み寄る。

「じゃあ私が包丁、さんが生米を」
「でも……お米がもったいないよ」
「確かに」
「じゃあこの野菜クズは?」

 いつの間に厨房へ入っていたのか、カウンター越しに硝子がビニール袋を掲げて見せる。

「おい生ゴミ投げつけようとしてんじゃねえ!」
「それなら問題ないね。やってしまおう」
「ほい
「ありがとう硝子ちゃん。ねぇ夏油くん、こう投げればいいのかな?」
「そうそう、思いっきり腕を引いてからね」
「は? いやお前ら正気かよ? それはやめろって、おい、お――」

 傑が包丁を、がビニール袋を振りかぶった。その結果、悟の術式に弾かれた包丁はカランカランと音を立てて床に落ちる。一方、の投げた野菜クズは弾かれることなく、べっとりと悟の顔面にこびり付くのだった。玉ねぎやにんじんの皮を頭に乗せた悟が、恨めしそうにたちを睨んでいる。ブハッと噴き出す硝子と、口元だけで笑む傑に、

「ふっざけんなよマジで!」

 悟は声を荒げながら自らの体にまとわり付く野菜クズを引っぺがしては投げたくる。復讐の炎に燃える悟の姿は、他の三人の笑いをさらに増長させるのだった。

「そういえば、もうすぐだね花火大会」

 ひとしきり笑い終えたのち、ふと思い出したようにが声を弾ませた。

「みんなも行けるよね?」
「行けるというか、行くしかないでしょ。今年も灰原が張り切ってチケット買って来てたし」

 悟の肩に乗っていた大根の皮を摘み上げながら言う硝子に、が「確かに」と笑う。

「夏油くんも行ける?」
「そのつもりだよ。灰原に脅されたからね。わざわざ私の部屋まで来て、絶対に参加してくださいって」

 悟が投げた野菜クズを拾い集める傑は、ゴミ袋を差し出したに「ありがとう」と目を細めた。

「俺は分かんね」

 五条悟は、とが口を開く前に、悟が言った。

「その日は出張で新潟だから、花火までにこっち戻って来れてるかどうか」
「新潟? じゃあお土産は日本酒一択で」
「……山形だったかも」
「だとしても酒」

 事もなげに言う硝子に、悟は片眉を下げる。「俺より酒のことかよ」と不満げな表情を浮かべる悟に、が言った。

「それなら花火までに帰って来れるように頑張ってきてよ。やれるでしょ、五条悟なら」

 面食らったように目を見開いていた悟だったが、次第にしたり顔へとその表情を変化させ、

「お前、そんなに俺に来てもらいたいわけ?」
「……別に。ただ灰原くんをがっかりさせたくないだけ」

 へいへい、と頭の後ろを掻きながらもどこかうれしそうに笑う悟。そんな彼を横目でちらと見た傑は、野菜の皮を拾いはじめる。細長く薄っぺらいにんじんの皮を拾おうとするも、床にくっ付いてなかなか剥がれない。そんな傑の横から、すうっと白い腕が伸びる。

「今年も枝豆売ってるかな。楽しみだね」

 がにんじんの皮を摘み上げ、「ね」と微笑みかける。傑は何度か瞬きをしたのち、かすかに頷く。

「そうだね」

 つっかえていたものが少しだけ取れたような、そんな笑い方だった。


◇◇◇


 傑はその日、肩を並べて座ると七海を見た。橙色の差す食堂で、ひぐらしの鳴き声が漏れ聞こえてくるなか、は七海の手を握り締めながら泣いていた。
 夏の終わりを告げたのは、花火大会ではなく、灰原雄の死だった。
 食堂の壁に掛かるカレンダーには、八月の始まりから昨日までの日付の上にバツ印が刻まれている。それは、花火大会を心待ちにしていた灰原が、毎朝カレンダーに書き記していたものだった。今週末の日曜には「花火!」と力強い文字が書かれている。バツ印は、その日付まで辿り着けなかった。
 ああ、なんて――。
 傑はカレンダーから目を離し、静かに泣くと七海から顔を背け、食堂から離れた。薄暗い廊下を歩く足が、進むたびにずぶずぶと地面にめり込んでいくように思えた。
 ――底なし沼の先には、一体何があるのだろう。


 傑はが泣く姿を初めて見た。けれど彼女は、次の日には笑っていた。いつもの通りに振る舞おうとしている彼女の目はどこか腫れぼったかった。
 七海と灰原の任務を引き継いだ悟は、あれから高専には戻らず、各地で次々に湧く呪霊を祓い続けているのだという。任務続きなのは傑も同じだった。呪霊が増えすぎているのか、術師の人手不足ゆえか、等級に相応しない現場に駆り出されることも多い。近頃では、遠方の地域は悟が、東京近郊は傑が対応するようになっていた。
 多忙な中でも、傑は可能な限り寮に戻っていた。どんなに疲弊していても、一日の終わりと始まりにの料理を食べれば、なんとか気力を保てる気がしていたから。呪霊を祓い、取り込み続けていると、自分の体が呪いに浸されていくように感じた。そのうち、忘れかけてしまうことがあるのだ。自分が人間であるということを。彼女のあたたかな味は、そんな鬱々とした気持ちを祓い、人であることを思い出させてくれる。そんな気が、していた。

「だーかーら! もう蛸は持って帰らなくていいってば」

 厨房にいるは、傑が食堂に入ってきたことに気づかない。誰かと電話をしているようだった。
 悟だな、と傑は察した。の背が揺れている。彼女が楽しげに笑っているということは、顔を見ずとも分かった。

「あっ、おはよう」

 不意に振り返ったは、明るい声音で傑に笑いかける。「じゃあもう切るね。うん、無茶せずにね」と電話を切ると、いそいそと朝食の準備を始める。

「いつも通り、ご飯少なめ、お味噌汁たっぷりで大丈夫?」

 ――そう。いつも通りの、朝だった。
 いつものように朝食をとり、補助監督の運転する車で任務地へ入り、呪霊を祓って取り込んで、帰路につく。夜にはまたこの席に座り、彼女の作った料理を食べ、シャワーを浴びてベッドに入る。そうやって一日を終え、また新しい日を迎える。変わらぬ日々。――それでいいのか? そんなことで、いいのか? 



「夏油くーん! いってらっしゃーい!」

 補助監督の車に乗り込もうとしている傑に、食堂の窓から身を乗り出して手を振る

「いってきます」

 の目には、そう言って笑む彼がいつもと何も変わらないように見えた。でも、違ったのだ。
 ――夏油傑が高専に帰ってくることは、もうなかった。






(2023.10.15)


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