第四話 依存してく


 春が来て、七海建人と灰原雄という二名の新入生が入学した。
 悟は初めて後輩という存在ができたことがよほど嬉しかったのか、歓迎会だと言って食堂中を装飾し、に大皿料理を用意してもらい、その夜は遅くまで大いに騒ぐのだった。

「こんなに熱烈な歓迎をしてもらえて嬉しいです!」

 灰原が曇りなき眼でまっすぐに言う隣で、

「こういう会は定期的に行われているんですか?」

と、どこか居心地が悪そうに言う七海。対照的な二人と、傑に絡みに行っていなされる悟とを見比べながら、はプッと噴き出すように笑った。

「ううん。こんなに賑やかなの、初めてだよ」

 はあ、という七海のため息を察知した悟が、「楽しんでんのかよ七海ぃ」と近づいて来る。しかし、がその間に割って入ってきたので、悟はぴたりと制止した。

「もう遅いし、七海くんと灰原くんは明日も朝から授業で、五条悟と夏油くんは遠征の任務でしょ? そろそろお開きにしない?」

 一同は悟が駄々をこねるものだと踏んでいた。しかし悟は、

「おーし解散! みんなおつかれ! おやすみ!」

と、七海や灰原を追い立てるように食堂の出入り口へと向かっていく。

「なにあの聞き分けの良さ。こわ」

 言いながら、硝子はテーブルの上の紙皿を集めてゴミ袋へ突っ込んでいく。

「悟も少しは大人になったってことかな。さん、余った惣菜はどうする?」
「あっ、もったいないから私食べるよ。タッパーに入れるからお皿そこに置いておいてー」
「了解」

 大皿をテーブルの端に寄せる傑。その背後からぬっと顔を出した悟が、に向かって声を投げる。

「俺も食うから明日の弁当にして」

 悟、とすかさず傑が言葉を挟む。

「弁当なんて……明日は私たち朝早いんだから、そんな無茶を言うとさんが困るだろう?」
「でもよー、に無理言って作ってもらったモン残しっぱにすんのも寝覚め悪いだろ」

 その言葉に、は少し驚いたように目を丸めた。悟は「寝覚めが悪い」と表現したが、要は、「申し訳ない」ということだろう。はまさか悟にそんな感情が湧くとは想像もしていなかったのだ。

「食べなきゃいけないと思ってるんだったら、無理しなくていいんだからね。五条悟が余り物を食べるのもなんか似合わないし……」
「無理してねえよ! 普通に食いたいんだって」

 少しムキになる悟に、は微笑した。
 
「わかった。いいよ、お弁当にするね」
さん」
「大丈夫だよ。私も明日は一限目の講義があるから、早起きする予定だったし」

 「気遣ってくれてありがとう夏油くん」と笑んだに、傑は唇をかすかに結んで頷いた。

「ごめん五条悟か夏油くん、やっぱり厨房で詰めちゃうから、大皿こっちに運んでもらえる?」
「あ、うん――」

 傑が皿を取ろうとしたとき、横からスッと伸びた手が大皿を持ち上げた。

「あとは俺がやるから、傑と硝子は先に寝てろよ」

 そう言って、悟はもう一つの大皿も片手に持つと、厨房で待つの元へと早足で向かっていく。

「まじ? ラッキー。んじゃ五条、あとよろしくー」

 硝子はゴミ袋を床に置くと、そそくさと食堂から出て行った。しかし傑はすぐにはその場を動かず、厨房で楽しげに話す悟と、それに呆れ笑いを浮かべながらも返すの姿を、少しの間見つめていた。

「いいってほんとに、ほら行って行って! 夏油くんお願い、五条悟を回収してー」
「んだよ人がせっかく手伝ってやるっつってんのに!」

 感情が抜け落ちたような顔をしていた傑が、の言葉ひとつで色を戻した。

「了解」

 傑はそう返して微笑むと、聞き分けの悪い悟を羽交い締めにするようにしながら、食堂を出るのだった。


◇◇◇


「おかえり」

 てっきり誰もいないものだと思っていた傑は、いつものように厨房から顔を出したに目を開いた。

「あっ、じゃなくておはようか。今日休みだもんね。……ん? こんにちは、かな?」

 は毎週土曜の昼、昨年事故に遭って足を悪くした母のリハビリに付き添っている。そのため寮生たちは各自の部屋や外で昼を済ませるのだが、この日の傑はめずらしく昼近くに起床し、空腹のままにふらふらと食堂へ来たのだった。

さん、今日って付き添いの日じゃ?」
「夜蛾先生がね、代わりに行ってくれてるの。たまにはゆっくりしろって」

 あの人、そんなこともするのか。そう思いつつ、傑は厨房のカウンターへと近づいて行く。夕飯の仕込みをしていたのだろう。刻んだ野菜がボウルいっぱいに乗っている。全然ゆっくりしてないな、と淡く笑う傑に、は言う。

「夏油くんお昼食べる?」
「え? いや、でも事前申告してないから」
「そんなの今さらじゃん」

 この寮には、食事が必要なら前日までに申告するようにという決まりがあった。しかしが寮母代理になってからは、何も言われずとも当然のように食事を出すので、みな申告をしなくなった。自然と、不要なときにだけ伝えるスタイルに切り替わったのだ。

「何食べるー? ごはんが余ってるから、オムライスとか?」

 冷蔵庫を覗きながら食材を確認するの後ろ背に、

「……チャーハン」

 傑はそう、ぽつりとこぼした。

「好きなの?」

 冷蔵庫を開けたまま振り向いたに、傑はどこか照れたように伏し目がちになりながら答える。

「小学生の頃、土曜の授業から帰るとよく母親が作ってくれてて」
「あー土曜の授業! あったねぇ、懐かしい。お昼で終わるから、お母さんが『せっかく登校するんだから給食も出してくれたらいいのに』ってぼやいてたなあ」

 は懐かしむように笑いつつ、再び冷蔵庫の中を覗き込む。

「焼豚がないから蒲鉾でもいい?」
「うちも蒲鉾だった」
「えっほんと? 他には何が入ってたの?」
「……たくあん」
「たくあん! いいね、食感が楽しそう」

 長ネギと卵、蒲鉾、そしてたくあんを取り出すと、

「私も一緒にいい? たくあんが入ったチャーハンって初めてで」

 首を傾げながらそう尋ねるに、傑は「もちろん」と頷いた。

「手伝うよ」
「そう? じゃあお言葉に甘えて。夏油くんには、たくあん担当してもらおうかな」

 の隣に並んだ傑は、まな板と包丁を出して、たくあんを手に取る。

「夏油家のやり方でお願いします」
「普通に刻んで炒めるだけだよ」
「味付けは?」
「醤油だったかな。あとは塩胡椒……本当に普通のチャーハンだよ」
「普通かなあ。たくあんが入ってる時点で、結構独特な方だと思うよ」

 はネギを刻みながら、隣でまな板に向かう傑を見上げ、ふっと笑った。

「どうかした?」
「ううん、ちょっと……料理する夏油くんって新鮮だなと思って」
「そう? こう見えて結構やるんだよ、料理」
「えーそうなんだ」
「うん。夜中に小腹が空いた時とか」
「何作るの?」
「ウインナー焼いて、あとはパックの白米をレンジで温めて、塩むすびにするぐらいかな。……これじゃ料理って言えないか」
「そんなことないよ。好きだね、塩むすび」

 は笑いながらフライパンにごま油を敷き、長ネギを炒めはじめた。じゅうっと焼ける音に紛れて、

「……好き、か」

 傑はぽつりと、そう呟いた。
 昔から好物だったわけではない。の塩むすびを食べてからだ。本当は、夜中に腹が鳴ると彼女の握り飯が食べたくなる。欲を言えば具沢山の味噌汁も。
 ――こんなに彼女の味に依存してしまったら、卒業後が大変だな。

 出来上がったたくあん入りチャーハンは、二人で向かい合って食べた。

「夏油くんが教えてくれた味」

 嬉しそうに言うに、傑は伏し目がちに笑うのだった。






(2023.08.13)


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