死体を見るなんて日常茶飯事。血や吐瀉物にまみれた現場で呪いを祓う。そうやって、誰に礼を言われるでもなく、与えられた仕事を粛々とこなす。
そんな日々だったから。ただただ、そんな日々が続いていたから。だから、彼女の存在は救いだった。凄惨な呪いの現場から帰ってくると、彼女が「おかえり」と笑い、あたたかな料理を食べさせてくれる。それだけで、身体に染みついたものが祓われるような気がしたんだ——。
第一話 寮母代理
私がなぜ今こうして柄の悪い男子高校生二人とタバコを咥えた女子高生一人に見つめられているか、その経緯を話すと長くなる。
なるべく簡潔に説明すると、こうだ。呪術高専で寮母として働いていた母が先日交通事故で怪我を負い、当面のあいだ私が寮母代理を務めることになった。寮母の雇用条件は住み込み。母子家庭の私が母に連れられてこの高専にやって来たのは、もう十五年ほど前のこと。教職員の全員と顔見知りで、特に夜蛾先生にはかわいがってもらった。母が勤務できなくなったとき、「高専の特性上すぐに人材確保するのが難しいから」と夜蛾先生に直々に懇願されて、その頼みを断ることができなかった。
だから、今こうして高専の食堂で、悪童らに観察されるような目で見られているのだった。……ああ、全然簡潔な説明じゃなかった。
「大学の授業もあるので今まで通りの運営は難しいですが、精一杯努めます。ので、みなさんは自分でできることはどうぞ自分でやるようお願いします」
額に汗が滲むのは、初夏の暑さのせいではない。刺すような視線から顔を背けるようにしてそう言うと、丸いサングラスをかけた外国人のような男子生徒が「感じ悪ぃ女」と声を上げた。
「ていうかお前って大学生なの? 中坊かと思ったわ」
「悟」
嗜めるように言った黒髪の男子生徒に、サングラスは不服そうに口先を尖らせる。
「自分でできることは自分でやらせろ。これは、夜蛾先生から言われたことです。自主性や自立心を育むことが大事だからと。特に五条悟は甘やかすなとも言われているので――よろしくね、五条悟くん」
かったるそうに天を仰いでいた五条悟は、その言葉にちらと視線を寄越し、サングラスから青い目を半分覗かせながら「あ?」と凄んだ。思春期の男子はキレやすいからいけない。けれど相手はただの男子ではなく、五条悟だ。まともに相手をしたら殺される。でも、怖がっているのを悟られたら舐められてしまいそうだから、それもいけない。年上として格好がつかないから。
「じゃあ、そういうことで」
そう言って踵を返し、厨房へ入ろうとした途端――。
「はっ、わ……!」
つまずいてしまった。それだけならいいものの、傍らのカウンターに積み重ねていた卵のパックを、前のめりになった拍子に払い落としてしまった。バチャバチャァッと音を立てて割れ散らかした卵。その黄色い海に倒れ込む私の姿は、きっと今この瞬間、日本で一番間抜けだ。
恥ずかしさと情けなさで呆然としていると、ブフーッと噴き出すような笑い声が背中に突き刺さる。
「格好つかなくて恥かいたなあ! おっつかれさーん」
げらげらと笑う五条悟の隣で、夏油傑くんも口の端を震わせている。家入硝子ちゃんに至っては「卵全部割れちゃったんですかー?」と地味に傷をえぐってくる。割れてしまった、全部。夕食はオムライスの予定だったのに。初対面での印象がこれだったら、今後ずっと舐められること必至だ。
思えば私は昔からこうだった。決めなきゃいけないところで決まらない。小学校の合唱コンクールでは発表の後に雛壇から降りるのに失敗してよろめき、前の子に覆い被さり、そのままドミノ倒しに隊列を崩してしまったし、中学の体育祭のダンスでは、最後の決めポーズ時につまずいて転びかけ、慌てて掴んだ女子のズボンをずり下げてしまった。やるなら一人でドジればいいのに、いつも誰かや何かを巻き添えにしてしまう。今日は卵を道連れにした。
ああ、とんだ寮母代理初日だ――。
◇◇◇
「卵がないだけでこーんな地味な見た目になんの?」
「昭和の洋食屋みたいでいいじゃないか」
チキンライスを差し出されると、悟は盛大に不満を放った。すかさず傑がフォローを入れるも、「昭和の」という言葉には若干の皮肉を感じ取った。
「……ごめんなさい」
さすがに謝らずにはいられなかったのか、は俯き加減で弱々しい声を出す。悟はそんなの姿をじっと見たのち、チキンライスを一口頬張った。その途端に、目を丸くする。期待していなかったのに存外、いやかなり、おいしかったのだ。
「いいけど別に。食えなくない味だし」
「食えなく……やっぱり、あんましおいしくないよね」
そっけない悟の言葉に、肩を落とす。
「や、かなりおいしいよ。鶏肉が大きめに切られてて食べ応えもあるし」
「うん、いけるいける」
その隣で、傑と硝子はうまいうまいとチキンライスを食べ進めている。しかし悟だけは「食えなくはない」の一点張りだった。
「御三家の舌ナメんなよ」
そう言いつつも食べる手を止めないので、は少し混乱したように首を傾げる。硝子はそんな悟に横目を流し、「ファストフード好きなくせに」とぼそりと呟いた。
「俺明日はさ、オバさんが作ってたあれ食いたい。なんだっけほら……傑、ほらアレなんだっけ」
「なんだろう。鴨南蛮かな」
「違う違う、ってかなんだそれ? 俺食ったことねぇぞズッリィ!」
「茄子のたたき?」
「なんだよそれ硝子。ていうかなに、お前ら俺の知らねえとこで特別メニュー食わせてもらってたわけ?」
「……肉じゃが?」
不貞腐れたように頬を膨らませていた悟は、ぼそりと呟いたの言葉に、ぱあっと目を輝かせる。
「それ!」
◇◇◇
「オバさんのと見た目が違う」
食卓に置かれた器を覗き込んだ悟は、眉根を寄せてを見上げる。
「私は豚とか牛より合い挽き肉の方が、味がこっくりしてて好きだから……食べ盛りの君たちの舌にも合うかなあって」
の声には、自信のなさがにじみ出ていた。
悟が肉じゃがをオーダーした後、は入院中の母の元へ向かった。お見舞いついでに、肉じゃがに使っていた肉の種類を聞こうと思ったのだ。そんなに母は言った。私の味をなぞらなくていい、あんたの作り方でいい、と。そうして、「これは大事なこと」と前置きした上でこう言ったのだ。「プロの味じゃなくていい。素朴な家庭の味でいいの。あの学校には、いろんな境遇の子たちがいるから」。
「うっ――ま……」
一瞬聞こえた言葉に、は「えっ」と顔を上げる。
「食べれなくもない味だなって」
悟はどこかはぐらかすようにそう言うと、もう一口頬張る。その様子を見ていた傑も、いただきますと手を合わせて肉じゃがに手を付ける。
「すごくおいしいよ。ご飯が進む味だね」
「傑はバカ舌だからすーぐ旨がるよな」
「は?」
「あ?」
睨み合いながらも肉じゃがを頬張り続ける二人の姿に、は安堵したように息を吐いた。
「……ていうか君らはあれなんだね、年上に敬語使わないんだね」
「ハッ、こんなケツの青い女にへりくだるかよ」
「親しみやすい方なのでつい。失礼でしたよね、すみません」
「ううん、いい。敬語だとちょっとくすぐったいし」
言いながら笑ったに、悟は少し面食らったように目を開く。しかしすぐにサングラスを押し上げて言う。
「なんだそれ、ブレッブレな女。スタンスはっきりさせろよな」
「悟は減らず口を叩きながらも完食したね」
「あ、ほんとだ! よかったあ」
空になった悟の器に、は口元で手を合わせた。そんなに、悟は少し罰が悪そうに言った。
「また食ってやってもいいけど」
食べさせてくださいお願いしますだろ、とすかさず傑に突っ込まれ「うっせ」とそっぽを向く思春期真っただ中の五条悟は、いまだに空っぽになった器を眺め微笑むを横目で盗み見て、口をもごもごとさせるのだった。
(2023.07.16)
favorite
スキ!
ありがとうございます!ご感想などは以下「メッセージを送る」よりどうぞ(大喜びします)
メッセージを送る