俎上
冨岡義勇のもらった嫁は、修羅の娘だとか火男の愛娘だとか、物騒なあだ名で呼ばれている。
彼女は昔から一度刀を打ちだすと周りが見えず、寝食も忘れがちで、また打った刀へのこだわりも強く。一度義勇が刀を受け取りに行けば、義勇の身長が伸びて刀の寸法が狂っただとかそういう理由で、目の前で刀を叩き折られたことがある。
「結局、彼女はそういう人外に好かれる質の人間なんですよ。
ほら、なんていうんです? 提灯に釣鐘? それとも蓼食う虫も好き好き?」
「お館様、そこは『美女は命立つ斧』とでも言ってやってください。冨岡が浮かばれません」
「俺は死んでいないし、悪女呼ばわりとは、人の妻に失礼じゃないのか」
冨岡が眉をひそめて言えば、宇髄は悪い悪いと言って笑う。輝利哉も軽口に舌を出して、「でもそういうことですよ」と取りなした。
「彼女、昔から刀のことに熱中しやすいでしょう。そういう状態は神がかりと言って、神が降りてきている、愛されているとされてきました。
刀鍛冶の里で彼女が修羅の娘とか、火男の愛娘だとか呼ばれていたのは、そういう熱中や過剰な集中状態のことを表していたんです。火男というのは、天目一箇神(アメノマヒトツノカミ)。一目連のことで、鍛冶の神様です。
そりゃあ新興の神ごとき、神話からの神様の愛娘には、吹き飛ばされてお終いなのは道理、道理」
輝利哉はきゃらきゃらと無邪気に笑い、出された盆の西瓜をかじって種を吐き出した。そうしていると全くの子どもなのに、喋る内容はおっかないのだから、産屋敷は怖い。庭先の鍛冶小屋からはカァン、カァンと調子のいい音が響いている。は静養の後に全く調子を取り戻したようで、鍛冶小屋に引きこもっては以前のように刀を打ったり、細工物も作ったりを繰り返している。さらわれていた娘たちも全員親元へ戻り、嫌な気配もここ最近はなく、平和そのものだ。
「いやあ、本当にでも、安心しましたよ。義勇とがまとまってくれて。
私たちなんて、いっそと義勇を縛って湯治場でもぶちこまなければいけないかと、ひやひやしていました」
「本当ですよ、お館様。
俺なんて、嫁たちと一緒にぶち込む湯治場の選別始めたり、雛鶴なんて思いつめた顔でそういう方面の薬の調達まで始めていましたし」
「そうなっても、現に状況は変わらなかっただろう。相手は頑固者のだぞ」
冨岡が冷ややかに言えば、宇髄の呼吸が一度止まった。「げんに……?」 宇髄が理解できないという調子で、言葉を繰り返す。輝利哉はぽかんとして、それからじわじわと頬を染めた。
「エ! 待ってくれ、まさかお前、手を出してたから屋敷に住めなんてそんな強引なことを言ってのけたのか?!」
「エ! 義勇にそんな手を出すような甲斐性あったんですか信じられない!!」
「いつだ、いつ手を出してたんだ、冨岡ヨォ!」
「こら天元、下世話ですよ! でも僕にだけ教えてくださいお願い義勇!」
宇髄と輝利哉にしがみつかれてゆさゆさと揺らされながら、義勇は鍛冶小屋の音を聞いていた。小気味いい音を聞く限り、冨岡義勇の嫁は今日も元気のようである。
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昼間に庭先が騒がしかった理由を聞けば、宇髄様とお館様が訪れていたらしい。それは挨拶もせずに申し訳ないことをしたと言えば、冨岡は「構わない」と飄々とした顔でいう。人形のように表情の変化に乏しかった彼もだんだんと笑うようになってきたが、そもそも、現在も冨岡の表情筋は怠け者らしく、すんとした顔をするのはそういう表情なのだ。わたしは肩をすくめて、沸いたお茶を鉄瓶から湯飲みに注いだ。わたしと冨岡のものでふたつ、それからもう一つ。
「冨岡、寛三郎の湯飲みも換えてきて」
「お前ももう冨岡だというのに」
ぶつぶつと文句を言いながら湯飲みを受け取り、床の間の骨壺の前に置く。下げてきた湯飲みを洗い、床の間が見える居間のちゃぶ台に並んで腰を下ろした。寛三郎がいなくなったのは一年と少し前で、冨岡はとくにさみしくて仕方のない顔をしていた。けれど先日の騒動で、ああしてわたしたちを見守ってくれていることがわかったので、今は心配を掛けまいという気持ちが強いのだろう。
「昼間、宇髄とお館様と、責任の話をしていた」
「責任? なんの?」
「男としての責任だそうだ。俺は、一応それを果たせたと思っている」
「はあ、よくわからないけど、よかったね」
「ああ」
冨岡はそう言い、ずずっと茶をすする。なんとなくわたしも湯飲みをすすると、肩越しに冨岡がこちらをじっと見ているのがわかった。思わず嫌な気配がして、後ろに下がろうとするが、それよりも早く冨岡が湯飲みを置いた。タン、と景気のいい音がする。
「大人の男とは、責任を果たさなければいけないものだが、逆を言えば、責任を果たすのであれば、それを為す権利があると」
「は、はあ……」
「あの時の俺は、責任を果たす前に事を為してしまった。しかし責任を果たした今、逆に事も為したいと思っている」
「と、冨岡?」
「お前はあのときは呼んだじゃないか、俺の後ろ髪を掴みながら、「義勇」と」
逃げようと思ったときには遅く、冨岡の腕に絡めとられて足払いを掛けられるという事態が起きていた。尻の上には冨岡の膝が乗り、左手には冨岡の腕が見えるが、背後で帯が解かれていく気配がする。冨岡義勇は隻腕になったため、口元で何かを咥えるという無駄に色っぽい仕草が増えたのだ。振り向くのではなかった。直視してしまった、忌々しい。
「や、やだ、冨岡!」
「俺は十分待ったと思う。怪我が治るのも、祝言を上げるのも」
「そ、そうだけど、そうじゃなくて」
「そうじゃなければなんだ?」
人の尻の上にどっしりと腰を下ろして動きを封じた冨岡は、体を起こして空いた左腕で軽く衣文を抜くとわたしのうなじをなぞり、息を吹きかけていく。性感をじわじわ起こされていくその感覚と戦いながら、決死の理性でなんとか叫んだ。
「寛三郎じいちゃんが、見てる!」
開いた床の間へのふすまを見つめ、その言葉にピタリと止まった冨岡は、ややあって体を起こした。「そうだな、その通りだ」 冨岡の言葉に安堵したのもつかの間、ぐいっと体が浮き上がり、まさかの片腕で俵担ぎにされたのだと悟る。
「俺の部屋へ行こう。そのほうがゆっくりできる」
「やだ、冨岡親父臭い、宇髄様みたい!」
「……なぜここで宇髄の名前が出る。ことと次第によってはただではおかない」
「そうじゃなくて、そうじゃないのに……!」
たつん、とふすまが閉められる。きっと寛三郎じいちゃんも呆れて見ないふりをしてくれているだろう。惚れたの腫れたの、好きあい同士の色恋沙汰なんて、犬もからすも、神様だって食いやしない。本人たち以外はお断りの、ひどいゲテモノなのだから。
こんな幸福、きっと胸焼けしてしまうだろう。
— 完 —