8.シリウスと母の物語 お父さん、お母さんへ お元気ですか? 十月もあともう少しで終わります。 こっちは風が冷たくなってきて、校外に出るときは防寒具を付けないと風邪をひいてしまいそう。 日本はどうですか?紅葉がとても綺麗? もう五年ほど日本の秋を見てなくて少し寂しい気もします。 でも大丈夫。私は元気でやってます。 前の手紙でも伝えた通り、私の素敵な友達と毎日楽しく学校生活を送ってます。 例のアンブリッジ先生は相変わらずで、私達生徒に実戦のための魔術を教えてくれません。 ハリーの言うとおり、私もヴォルデモートが復活したと信じています。 だからこそ、実戦魔術を知っておかなくてはいけないと思うの。 そこで、私達は極秘でグループを結成したんです。 DA(ダンブルドア軍団)という名前、とても素敵でしょう? 昨晩、第一回目の会合がありました。ハリー・ポッター先生のデビューです。 そういえば、少し前の話になるんだけれど、私はパッドフットに会いました。 嬉しそうに娘からの手紙を読むミセス・の目が止まった。 パッドフットが誰なのか、お母さんなら分かるでしょう? 会うと言っても、実際に会ったわけではなくて、炎の中からなんだけど……。 そこまで読むと、ミセス・はコーヒーテーブルに手紙を置いた。 そして立ち上がると、ピアノの前を通り過ぎる。ピアノの上には何枚もの写真がフレームに飾られており、その全てにが写っていることから、いかに夫妻が娘を溺愛しているのかが伺える。黒くて丸い目をした赤ん坊の頃のの写真から、ピアノコンクールの時の写真、着物で舞う写真、ホグワーツの制服を着た写真、家族三人で写った写真。―――用箪笥に向かったミセス・は、そっと引き出しを開けた。 ミセス・の姿は、にそっくりだった。と同じ瞳に同じ色の肌。髪は娘よりも茶色であった。 引き出しの中から深緑色の表紙をした一冊のアルバムを取り出した。 ソファに戻り腰を掛けると、アルバムを捲った。 一ページ目にはホグワーツの制服を着たミセス・とその母が笑顔で写った写真がある。 二ページ目では、一枚の写真の中で五人の人物が微笑んだり、手を振ったりしていた。 皆、ローブの胸元にグリフィンドールの紋章をつけている。 一番左は五人の中で最も背が低い、ピーター・ペティグリューだった。 その隣にはリーマス・ルーピンが微笑む。 中央にはジェームス・ポッターが陽気に手を振り、隣には赤毛のリリー・エバンズがにっこりとしている。 その隣にまだ苗字が“ダーウェント”だった頃の自分がおり、一番右にはシリウス・ブラックがはらりと目にかかる髪を片手で掻き上げていた。 ミセス・は写真に指を触れ、シリウスの顔を軽くなぞると、彼はどうしているだろうか?と思った。 そして再び娘からの手紙を取り、続きを読んだ。 そこには母親の気持ちを察しているような一文が書いてあった。 彼は元気にしています。 ミセス・は安堵したようにため息をつくと、ソファに背をもたれた。 彼と最後に連絡を取ったのはいつだろう?とふと思った。 確か、結婚するという手紙を送ったのが最後。 “おめでとう、幸せに。”とだけ書かれた返事が来たのが最後だった気がする。 ポッター夫妻が亡くなってから少し経ち、シリウスは殺人犯としてアズカバンに入れられた。 その頃のミセス・の心境はとても複雑であった。 まだ一才のを片腕に抱きながら、いくら涙を流したことだろう。 それでもずっと、彼女はシリウスの無実を信じていた。 私の周りにいる人たちは皆、とても素敵です。 もちろん、パッドフットも。 ミセス・は窓から見える山々が紅と黄に染まるその絵のような風景を見た後、静かに目を閉じた。 「また怪我したの?」 腕がぱっくりと割れ、傷口からだらだらと血を流すシリウスは痛がる素振りも見せずに、むしろ笑って、 「ああ、そうだ。だからダーウェント、治してくれよ」 むすっとした顔をするダーウェントに腕を差し出した。 談話室には二人の他にジェームズ、リリー、リーマス、ピーターがいた。 リリーは呆れたようにシリウスを見ると、再び視線を本に戻す。 ジェームズはにやにやと笑いながら二人を見ていた。 「だってあなた、異常よ?今日だけで何箇所怪我したと思ってるの?」 「五箇所かな」 「ざっと十五よ。ほんの小さな虫刺されも含めてね。朝から晩まで“治せ治せ”って……」 「俺はおっちょこちょいなのかな」 シリウスはおどけて見せると、ジェームズは噴出すように笑った。 ダーウェントは眉を吊り上げた。 「私はあなた専属の癒者じゃないのよ!」 そう言いながらも、シリウスの腕を掴んでローブから杖を出した。 「でも、まだ癒者になってないじゃないか。君はまだホグワーツの五年生だ」 ダーウェントの杖先から光が現れた。 シリウスは自分の腕の傷口が塞いでいくのを見ながらそう言った。 「君は本当に癒者になりたいのか?」 「そうよ。悪い?」 「いや……」 「ほら、治ったわよ。今日はもうこれ以上怪我しないでね」 ダーウェントは傷があった所をぴしぴしと叩くと、そう言ってリリーの隣の椅子に座った。 リーマスはちらりとシリウスを見た。 シリウスは自分の腕を見ながら、何か考え込んでいた。 「リリー、何読んでるの?」 「白雪姫よ」 「それって……なに?」 首を傾げるダーエウェントに、リリーは優しく微笑んだ。 「そっか、あなたのご両親は魔法使いだから分からないわよね」 「それって何だい?その“白雪姫”ってのは」 ジェームズはリリーと話すチャンス、とばかりに身を乗り出した。 それを避けるようにして、リリーはダーウェントの方に体ごと向けた。 「お姫さまが毒林檎を食べてしまって命を落としかけたけど、王子様のキスで助かって永遠の幸せを手に入れた、というお話よ」 「かなり省略したね」 とリーマスが笑いながら言った。 「知ってるの?」とピーターが隣で聞き、「まあね」とリーマスが答えた。 「ふーん。キスで助かるなんて、その王子は魔法使いだったのかい?」 「たしかに魔女も出てくるけれど、王子はマグルよ」 リリーはジェームズにそう言い放つと、一瞬合った目をすぐに逸らして頬を少し赤く染めた。 「……素敵」 「え?」とリリーは隣のダーウェントを見た。 ダーウェントはリリーの両肩に手を置いて、興奮で顔を赤くしながら弾けるように話し始めた。 「素敵なお話ね!やっぱりマグルの考えることはすごいわ、本当に素晴らしい!」 「そ、そうね」 「それにマグルの“医者”は切り傷を糸で縫うんですって?それってすごく手間が掛かるけど、心が篭ってると思わない?」 ダーウェントは目を輝かせてリリーに言う。 「ダーウェントは本当にマグルが好きだなあ」 ジェームズが呆れ笑いをしながらそう言った言葉に、今までじっと考え込んでいたシリウスは我に返ったようにしてこちらに向かって来た。 「ええ、好きよ。特に、“医者”にとっても興味があるの。ねえ、リリーの知り合いのマグルに“医者”はいないの?」 ダーウェントはさらに目を輝かせてリリーに聞いた。 ジェームズはピーターとクッションをぶつけ合って遊び始めた。 リリーは「うーん」と暫く考え込むと、「あっ」と声を出した。 「そういえば、父の知人の息子さんが医者を目指してると聞いたことがあるわ」 「ほ、本当?」 「どうせヒョロヒョロしたガリ勉野郎だろ?」 シリウスがいきなり割って入った。 ダーウェントはキッと睨むと、リリーに話しを続けるように促す。 「お名前は?」 「えーっと、確か―――」 「ミスター・童貞だよ」 シリウスがそう言って鼻で笑った。 リリーもダーウェントも「信じられない」という顔でシリウスを見た。 ジェームズが手を叩いて笑ったのでピーターもそれに合わせ、リーマスは苦笑いした。 「ちょっと黙りなさいよ、ブラック」 「だから“シリウス”と呼んでくれって。何度言ったら分かるんだ?」 「あなただって私のこと“ダーウェント”ってファミリーネームで呼んでるじゃない」 「何だ?もしかして君、ファーストネームで呼んでくれって言いたいのか?」 「ち、違う!」 激しく手を振って否定したダーウェントは、にやりと笑うシリウスに顔を背けた。 「ああ、思い出したわ」 リリーが本をパタンと閉じて言う。 「彼の名前、ミスター・よ」 リリーが言うと、シリウスは顔をしかめた。 ダーウェントはリリーを見て、 「ミスター・……」 と復唱した。 「一家は日本の方なんだけどね」 「日本?日本って、あの小さな島国のか?」 シリウスはそう言って思いっきり鼻で笑った。 「でもシリウス、日本人はとても賢いよ」 リーマスはリリーが読んでいた“白雪姫”の本を手に取りながらそう言った。 「現に、ダーウェントの母親もとても優れた魔女だし」 リーマスはまだ「ミスター・……」と呟くダーウェントに軽く笑んだ。 ジェームズはクッションでピーターの顔面にヒットを浴びせ、ケラケラと笑っている。 リリーはそれを呆れたように横目で見ると、リーマスから本を受け取って再びページをめくり始めた。 しかし、シリウスだけは険悪な顔をして 「ダーウェント!」 とダーウェントの肩を掴み、自分の方を向かせた。 ダーウェントは「ミスター・」と呟くのを止め、きょとんとした顔でシリウスを見た。 「そんなガリ勉男は君を幸せにはできないだろう!」 ジェームズがピーターの横顔をクッションで叩く音がやみ、リリーの本をめくる音も消えた。 「え、何?ブラック、何が言いたいの?」 「だから、君は俺が……」 シリウスは「しまった」というような顔をして、さっとダーウェントの肩から手を離した。 ダーウェントとピーターだけが訳が分からないという風な顔でシリウスを見つめていたが、ジェームズやリリー、リーマスはどうやら意味を理解したらしく互いに顔を見合わせて笑った。 「どういう意味?」 ダーウェントは俯くシリウスから目を離し、リリーたちに尋ねた。 「やれやれ」とジェームズが口を開いて、 「だから、パッドフットは君に―――」 「言うなプロングズ!」 シリウスが大声でジェームズを黙らせた。 ジェームズはおどけて見せ、再びクッションの端を掴んでピーターと戦い始めた。 シリウスはダーウェントを見て、 「いずれ、またいずれ言うさ……」 と言うと、男子寮への階段を駆け上って行った。 ミセス・は扉を開ける音で目を開けた。 「おかえりなさい」 リビングに入ってきた黒髪の男性に、ミセス・は明るく言った。 「ああ、ただいま」 ミスター・もそれに笑顔で返すと、ソファに鞄を置いた。 妻の膝の上に手紙があるのに気付き、 「それはからかい?」 と聞く。ミセス・は頷くと、それを夫に手渡した。 すると二枚の手紙の間から、一枚の写真が床に滑り落ちた。 屈んでそれを手に取ると、ミセス・の顔には笑みが広がった。 「あなた、見て」 写真を夫に渡して、一緒にそれを眺めた。 その写真には娘のと、ハリー・ポッター、ロン・ウィーズリー、ハーマイオニー・グレンジャーの四人がこちらに向かって楽しそうに笑っていた。 「元気にやっているんだね」 「ええ。そうみたい」 夫婦は互いに顔を見合わせて、娘が学校生活を楽しく過ごせていることを喜んだ。 ソファに座って手紙を読むミスター・。 ミセス・はその写真をフレームに入れて、ピアノの上に飾った。 そして、こう思った。 ―――来年の夏、あの子をイギリスまで迎えに行ったときに、シリウスの居場所を聞いて会いに行こう……。 久しぶりの再会をしたときのことを想像して、ミセス・はやわらかく笑んだ。 (2007.8.31) |