7.ハンサムボーイの初恋 「もう一度聞くけどは本当にマルフォイに恋愛感情は抱いていないんだね?」 「あなたその質問もう二十一回目よ」 “恋するフクロウ”がマルフォイの元に手紙を落とした日の夜、グリフィンドール談話室でハリーたちは溜まった課題をこなしていた。 ロンはハーマイオニーから添削してもらったレポートを受け取りながら二十一回目の質問をした。 は窓辺の肘掛け椅子に埋もれてすやすやと眠っていた。その膝の上には網かけのソックスが横たわっている。 魔法で編まれていたその赤と白のストライプのソックスは、が眠りに落ちると共に虚しく膝の上に倒れたのだった。 ハリーは羊皮紙に文字を滑らせながら、チラリとを見た。 彼女は昼前になってようやくハリーたちの元へ現れて、必死に「あのふくろうが“恋するフクロウ”だなんて私、これっぽっちも知らなかったの」と説明して聞かせた。 先ほどまで談話室内では、誰がマルフォイに手紙を送ったのか、としきりに話し込んでいるグループが多くあった。 それを聞くたびにはぎくりとしたような顔をしたが、誤魔化すかのように、集中してしもべ妖精のために熱心にソックスを編んでいるふりをしていた。 「パーキンソンじゃないのか?」とシェーマスが言ったが、すぐにジニーが「あの子じゃないわ。だってあの時泣きじゃくってたから」と否定した。 シェーマスの他にもパーキンソン説を唱える生徒がいたが、ジニーのこの証言を聞くと皆いよいよ諦めたかのようにして、それぞれの部屋へと戻っていった。 そして今や談話室に残るのは、ハリー、ロン、ハーマイオニー、そして疲れ果てたように眠るだけになった。 「マルフォイがますます調子に乗らなきゃいいんだけど」 ロンは憎たらしそうな顔をしてそう言った。 「それは無いわ」 ハーマイオニーがずばりと答えたので、ハリーもロンも首を傾げた。 「何で?」 「だって、あの時誰にも覗かれないように急いでポケットにしまい込んだでしょ?自慢するには絶好の場だったのに」 なるほどそうだ、とハリーは納得した。 「ところでは手紙に何て書いてたんだい?」 「さあ、そこまでは聞いてないわ」 「君、ハーマイオニー……それは間違ってる。そこが重要なのに」 「でも、大した内容じゃないと聞いたわ」 ハーマイオニーは少しロンを睨んできっぱりと答えた。 ロンはウーン、と呻いた。 「はやく課題を済ませなさいよ」とハーマイオニーが厳しく言うと、ロンは渋々羽ペンを再び手に取った。 「本当にはマルフォイに―――」 「恋愛感情を抱いてないわ!もう、何回言わせれば気がすむのよ!」 ハーマイオニーが声を上げると、肘掛け椅子の中でがもぞっと動いた。 するとハーマイオニーは「だってあの子は……」とを見ながら、今度は静かな声で言った。 「今まで一度も、恋をしたことがないんだから」 三人の視線の先で眠るは夢を見ていた。 “恋するフクロウ”が大広間の天井を飛びながら「・からドラコ・マルフォイに」と甲高い声をあげて手紙を落とす。 自分を鋭い目で睨みつける何人ものパーキンソンに水をばしゃばしゃと掛けられる。 その水が青くなって、澄み渡った空に変わる。その下には緑の野芝が広がる。 男の子が走っていく。 「待って、名前を教えて」と小さくなっていく背中に言う。何度も、何度も。 待って、待って――― 「―――って……待って……待って!」 が目を覚ますと、暖炉の周りにハリー、ロン、ハーマイオニーの三人が膝をついて炎を見つめていた。 三人とも「じゃあね。おやすみなさい」と暖炉に向かって話していたが、の寝言にビクっとしたようだった。 「“待って”?今のは君か、ハーマイオニー?」 の知らない声が暖炉の中から聞こえた。 ハーマイオニーはそれに首を振って、を振り返った。 ハリーとロンもを見る。 「三人とも、誰と話してるの?」 は肘掛け椅子から離れて、暖炉に近づいて行った。 ハリーが暖炉に向かって「彼女は大丈夫だよ」と声を掛けたので、はハーマイオニーの肩越しに炎を見た。 は炎の中に首が浮いていることに目を丸くしたが、先に声を上げたのはではなかった。 「君は……ダーウェントか?」 ハリーは炎の中のシリウスを「何だって?」と言って見た。 シリウスは炎の中から目を凝らしてを見つめている。 「ダーウェント?この子は・よ」 ハーマイオニーが丁寧にそう紹介すると、ロンも頷いた。 しかしとシリウスはじっと目を合わせていた。 「一体どうし―――」 「どうしてそれを?」 ハリーの言葉をが遮った。 「どうして、私の母の旧姓をご存知なんですか?」 ハリー、ロン、ハーマイオニーは驚いたようにしてを見た。 は今や暖炉の炎に誰よりも近づいていた。 「そうか」 シリウスは微笑むと、言葉を続ける。 「ダーウェントは子供を産んだのか……君を」 そう言うと、まるでハリーにジェームズの面影を重ねるときのような目をにも向けた。 「その目は本当にダーウェントにそっくりだ。彼女の髪はもうちょっと茶色だったが」 そこで、我慢出来ずにハーマイオニーが口を開いた。 「ちょっと待って。一体どういうことなの?のお母様が?」 「ダーウェントは私の学友でね。つまり、ハリー。君のお父さんの友でもあるんだ」 シリウスがハリーを向いてそう言うと、が「失礼ですが……」と言う。 「あなたのお名前は?」 これにはハリーたちも驚いた。 「君まさか、この人を知らない?」とロンがに囁く。 それに首を振るを確認すると、シリウスは口を開いた。 「名前も名乗らずに失礼したね。私はシリウス。シリウス・ブラックだ」 それを聞くとは両手で口を覆った。 シリウスはその反応を見て、少し視線を下に向けた。 ハリーは慌てるようにして言う。 「、この人は殺人鬼なんかじゃないんだ。それは勘違いで―――」 「うん、うん……私、知ってる」 はそう言って何度も頷いた。 「じゃあ、あなたがシリウスさんなんですね。母がよく、あなたの話をしていました」 「ダーウェントが私の話を?」 「はい……あなたが人を殺めるような人間ではないと言ってました。だから私、シリウスさんが無罪だって信じてるんです」 「それが事実だよ!」とハリーがすかさず言った。 は二年前、“シリウス・ブラックがアズカバンを脱獄した”という記事を読みながら涙を流していた母の姿を思い出していた。 「シリウス、逃げて……逃げて」と呟きながら泣く母を、は壁に隠れて見ていたのだった。 「ダーウェントはよく私やジェームズが怪我をしたときに治療してくれていたよ」 の母は、マグルの医者の父と結婚するまで聖マンゴで癒者をしていた。 きっとと同様に学生の頃から癒療魔術に優れていたのだろう。 「でも、そうか。彼女がミスター・の元へ嫁いだとすると、ダーウェント家は今は誰が継いでいるんだ?」 「母の兄です」 「ああ、兄上か。彼も有能な癒者だ」 「ワオ。君の家は癒療一家なんだ?」 ロンがそう言うと、シリウスは「知らないのか?」と言った。 「ダーウェント家の祖先には、ディリス・ダーウェントがいるんだ」 シリウスの言葉にハリーやロンは首を傾げたが、ハーマイオニーはすぐさま反応を示した。 「ディリス・ダーウェントって、聖マンゴのお癒者さまで、ホグワーツの校長も務めたあのディリス・ダーウェント?」 興奮気味に言うハーマイオニーに、シリウスは「そうだ」と微笑んだ。 次にハーマイオニーはを見た。 「まあ!私、知らなかったわ!」 「あ、ごめんね。言ってなかった……」 「あー、通りでが癒療魔術に長けてるわけだ」 ロンが言うと、ハーマイオニーは「あら?」と眉を顰めて尋ねた。 「でもあなたのお母様は日本人でしょう?」 「うん。でも正確には完璧な日本人じゃなくて、イギリス人のクオーターなの。お母さんの祖母が―――つまり私の曾祖母が―――イギリス人で、日本人の男性がダーウェント家に婿入りしたから。そして生まれたのが私の祖父で、彼もまた日本人女性をお嫁に貰ったの」 「ちなみにダーウェントはミスター・と結婚するまで日本に行ったことがなかったんだ」 シリウスはそう言って笑った。 「なんだか、ややこしいなぁ」とロンは頭の中を整理しながら言う。 ハーマイオニーはに色々と質問をし始めた。やっと整理を終えたロンもそれに加わる。 シリウスとハリーは互いに目を合わせると、小さく笑った。 そしてシリウスはハリーを炎の近くに来るように言うと、そっと囁いた。 「ここだけの話、のお母さんは私の初恋の相手でもあるんだ」 ハリーは驚いたが、そう言ったときのシリウスの痩せこけた顔が昔のハンサムな姿に戻ったような気がした。 「じゃあ、また来るよ」 そう言ってシリウスの首はゆらめく炎に消えた。 シリウスにもそんな恋があったのか、とハリーは思った。 そう思うと彼にも幸福な時があったのだと改めて知ることができ、何故だか心が温かくなった。 ―――でも…… ハリーはふと思った。 ―――シリウスの恋は実らなかったんだろう。だって、のお母さんはマグルと結婚したんだから。 楽しそうに笑うを見ながら、ハリーはシリウスを少し哀れに思った。 次の日の朝、一限目の魔法史の授業のために教室へ向かいながら、ハーマイオニーは憤慨していた。 「ありえないわ!とても信じられない……だって、あの女が“高等尋問官”なんて!」 その日の日刊予言者新聞には“ドローレス・アンブリッジ、初代高等尋問官に任命”という大見出し記事が躍っていたのだった。 ハーマイオニーはブツブツと文句を言いながら、ハリー、ロン、の前を肩をならして歩いていた。 はジニーがポニーテールに結んでくれた髪を片手で触りながら、きょろきょろと辺りを見ている。 「今頃はさぞ気分が良いだろうな。あのガマ先生は」 ロンが笑い飛ばすようにそう言ったとき、は隣を通り過ぎるスリザリン生の集団の中にマルフォイを見つけた。 「ちょっと私……あの、すぐに行くから先に行ってて」 は三人の返事も待たずに、廊下を逆走していった。 「あの、ちょっと待って……!」 その声に集団の何人かが足を止めた。 振り返ると・が必死に走ってくる。 「マルフォイ君!」 が一度立ち止まってそう言った言葉が廊下に反響した。 マルフォイは足を止めて、ゆっくりと振り向いた。 しかしその目はを見ていない。 その集団の中にパーキンソンがいることに気付いたが、は目を合わさないようにした。 「あの、マルフォイ君。私、あなたに言わなくちゃいけないことが……」 「生憎、僕は今急いでいるんだ」 マルフォイは冷たく言う。 「そうでなくとも、グリフィンドール生と話すなんて全く時間の無駄さ」 パーキンソンはそれを聞くと声を上げて笑った。 マルフォイは去っていく。取り巻きをつけて、再び歩いていく。 「それは演技なの?」 床を踏む靴の音も、パーキンソンや女子生徒の笑い声もぱったりと止んだ。 はただじっとマルフォイの背中を見つめながらそう言ったが、声が震えた。 マルフォイは振り向かずに、 「黙れ、混血め」 と言うと、再び歩き出した。 パーキンソンは“混血”という言葉を聞き、蔑むような目でを見たかと思えば、意地悪く笑ってマルフォイの後に付いて廊下の角を曲がって行く。 スリザリンの男子生徒は何とも言えない顔でを見ると、慌ててマルフォイの後を追って行った。 残されたは胸にそっと手を当てる。 胸が痛んだのだ。 それは“混血”という言葉にではなく、“何か”に対して心がチクリと痛んだ。 自分でも何が悲しいのかは分からない。 しかし、の頬には確かに涙が伝っていた。 (2007.8.28) |