5.スリザリンの監督生 ロンがキーパーに合格した次の日の放課後、グリフィンドールチームは競技場でさっそく練習を行っていた。 ―――ああ、静かにしてくれよ。 ハリーは競技場を飛びながらそう念じていた。スリザリン生がスタンドから囃し立てるせいで、ロンがすっかり上がってしまい散々な有様だった。ロンがまたミスをしたとき、マルフォイを筆頭にどっと笑うスリザリン生をハリーは睨みつけた。 マルフォイはハリーの厳しい視線に気付き、ふざけたように「おぉ怖い」という顔をしてみせたが、次の瞬間にマルフォイの顔はさっと真顔に戻った。スリザリンの野次も静まった。みな、向かいのスタンドを見ている。 グリフィンドールの選手たちもそちらを見ると、 「ロン、ハリー、頑張って!」 と声援を送るの姿があった。 たった今全速力でスタンドに駆けつけたようで、息を切らしながら小さくガッツポーズをしてみせた。 は昨日ロンがキーパーに決まったと聞いて、必ず初練習を見に行く、と言っていた。 少し遅れはしたものの約束通りにここまで来てくれたことに、ロンはどれほど喜んでいるだろうか。 ハリーはにガッツポーズを返した後、ロンを見た。ロンは大きく頷いて、照れたように首を掻いていた。 「おーい姫ー、俺たちのことも応援してくれよ」 双子が声を揃えて言った。 「フレッドとジョージも頑張って」 が笑顔で言うと、双子は大儀そうにバットを振った。 気のせいだろうか、マルフォイが顔をしかめたのをハリーは見た。 それからの練習は選手たちの活気からして先ほどまでとは違っていたし、何よりスリザリンから聞こえてくる野次に男子生徒の声が聞こえなくなったお陰で少しはましになった。(今や女子生徒が大声を張り上げて囃し立てていて、パーキンソンは明らかにを見て何か言っているようだった。) しかし暫くするとアンジェリーナのホイッスルが鳴る。ケイティの鼻血が悪化し、練習続行が不可能になっていた。 双子が蒼白な顔をして鼻から止めどない血を流すケイティを連れて競技場を出て行くとき、はそれを見て慌ててスタンドから去って行った。 「ケイティさん、ケイティさん!」 双子はケイティを連れて医務室に向かうため、校庭を歩いていた。 すると後ろからがケイティの名前を呼びながら走ってきたので、足を止めた。 「ケイティさん、どうしたの?」 「あーちょっと、俺たちがしくじって……」 「間違って、流血豆を飲ませちまったんだ」 口ごもるフレッドにジョージが答えた。 しかしは軽く頷くと、杖を取り出してケイティの鼻に向けてやわらかい光を放った。 「血は止められるけど」 が言うと、光が消えてケイティの鼻から流れ出す血は止まった。 もう一度杖を振って血の跡をきれいさっぱり拭い取ると、は言葉を続けた。 「顔がこんなに白くなってるから、マダム・ポンフリーに増血薬を頂いた方がいいみたい」 自分の鼻に触れて目を丸くするケイティに、フレッドもジョージも申し訳無さそうに謝った。 「私がケイティさんを医務室に連れて行くから、二人は着替えに戻っていいよ」 「でも」とは続ける。 「その流血豆、とっても危ないと思うの。今度からはちゃんと気をつけてね」 やんわりとした物言いだが、そこにはやんちゃな双子でさえも押さえ込むような凄みがあった。 ケイティの体を支えながら城に入っていくの背中を見て、ジョージが呟く。 「姫はきっと腹黒だぜ、兄弟」 フレッドは答えることなく、ただじっとの小さくなっていく背中を見つめていた。 医務室に着くと校医のマダム・ポンフリーはせかせかと二人に近寄ってきた。 「まあ、酷く顔色が悪いわ」 ケイティの顔を見ると、マダム・ポンフリーは眉根に皺を寄せた。 「クィディッチの練習中にブラッジャーが当たって鼻血を出してしまったみたいで」 あえてウィーズリーの双子のことを伏せたをケイティは少し驚いたように見た。 しかしその選択は正しいということに気付くと、ケイティはマダム・ポンフリーに頷いた。 ここで本当のことを言えば、マダムがマクゴナガル先生に言いつけて双子を今度の試合に出場させなくなるかもしれないからだ。 「鼻血を?」 「あ、はい。私が血止めをさせていただいたのですが……」 ケイティの鼻から血が垂れていないのを確かめると、マダムはに聞いた。 はどこか申し訳無さそうに答えるが、マダムはにっこりと笑った。 「はいはい、じゃあ貴女がミス・なのね。貴女のことはアルバスに聞いていますよ」 「え?」と首を傾げるにまた微笑むと、 「さあ、ミス・ベル。こっちへ。増血薬を飲んでもらいますよ」 と言ってケイティを奥へ連れて行った。 ゴブレットに赤褐色の液体を注ぎ、それをケイティが苦々しい顔をしてマダムから受け取るのを見ると、は医務室から出ようとした。すると、 「、ありがとう」 とケイティが声を掛けた。片手にゴブレットを持ち、今にもそれに口をつけようとしている。 は思わず頬が緩み、頭を下げると医務室を後にした。 ―――ダンブルドア校長が私のことを話してた? は廊下を歩きながら考えていた。 自分の寮へ戻るため、生徒達はお喋りをしながら通り過ぎていく。 先ほどのマダム・ポンフリーの言葉が頭をぐるぐると回る。 まさかあのダンブルドアが自分のことを話題にするなんて、と思うと嬉しさで顔が熱くなる。 「やあ、」 見ず知らずの男子生徒にそう声を掛けられては小さくお辞儀する。 すると、ふとの頭の中で声がした。 ―――よかったら今日の放課後、しもべ妖精への帽子を編むのを手伝ってくれないかしら? そうハーマイオニーと約束していたことを思い出し、は小走りで廊下を走りはじめた。 ハーマイオニーはホグワーツのしもべ妖精たちを自由にしてあげるんだと息巻いて、近頃夜な夜な編み物をしていた。 S.P.E.Wというものを創り、しきりに加盟を勧めてくるのでは断る理由も見つからずにイエスと答えた。 ―――はやく行かないと……。 そう思ってスピードをあげた途端、バシャーン、という音と同時に何かに躓いて勢いよく前に転倒してしまった。 「い……痛、」 額を思い切り床に打ち付けてしまい、頭がくらくらとした。 見ると、うつ伏せに倒れるの周りには水溜りができていた。が躓いたのはバケツだった。 ―――なんでこんなところにバケツが? びしょ濡れになった制服を見て、腫れた額を擦りながらは体を起こした。 ―――でも良かった、誰にも見られてなかった……。 と安堵したとき、どこからかクスクスと笑い声が聞こえてきた。 体内のどこかがひやり、として慌てて辺りを見回すと、廊下の角から五人の女子生徒が出てきた。 「あらら、廊下をこんなに水浸しにしちゃって」 思い切り笑いたいのを堪えながらそう言うのは、グループの先頭に立つパーキンソンだった。 はとっさに身構える。 するとパーキンソンはの額が赤く腫れているのを見つけると、わざと哀れむような声で言った。 「可愛いお顔が台無しじゃないの、姫?」 すると周りの女子生徒がきゃっきゃと笑う。耳を突く嫌な笑い方だ。 は水溜りに座り込んだまま、パーキンソンを見上げた。 「何よその目は」 パーキンソンは睨む。 誰とでも分け隔てなく接し、普段人を非難することの無いだが、このパーキンソンはとても苦手だった。 大広間での出来事以来、出来れば関わりたくないし目も合わせたくないほどだ。 パーキンソンは思いついたような顔をすると、意地悪く笑った。 「は学校の廊下を汚した。よってグリフィンドールから十点減点」 が思わず何か言おうとしたのを制するように、パーキンソンは胸元に光る監督生のバッジを見せつけた。 「……監督生は、規則に反する生徒からしか減点してはいけないんだよ」 「公共の建築物の一部を汚すのは社会のルール違反よ。あなた、それ知ってた?」 悔しそうに下唇を噛むに、いい気味とばかりに笑むパーキンソン。 「もしかして、あなた達?ここにバケツを置いて、私を―――」 「が信頼されるべき監督生を疑った。グリフィンドールからもう十点減点」 「そんな減点認められない!」 は声を上げた。 今や視界は霞んでいて、パーキンソンの顔もぼやけて見える。 パーキンソンはまさかが大声を出すとは思っていなかったようで、驚いた表情を見せたがすぐに笑い始めた。 「あーあ、おっかしい。あんたって本当に―――」 「何やってるんだ?」 その声にパーキンソンはぎくりとしたように固まった。 後ろにいた取り巻きの女子生徒たちも笑うのをやめて、ぱっと道を開けた。 そこから現れたのは、プラチナ・ブロンドの髪をきっちりとオールバックにしたマルフォイだった。 「何をしていた?」 マルフォイは水溜りの中に座って額を腫らすを見て、隣で目を泳がせるパーキンソンを見た。 「た、ただちょっと、を指導していただけよ。彼女が水をぶちまけるから」 「減点はしてやったのか?」 そう言うマルフォイにパーキンソンはぱあっと顔を輝かせた。 憎きグリフィンドールから減点したことを褒めてもらえると思ったのだろう。 「ええ、もちろん!二十点も!」 「二十点か」 マルフォイはそう言うと、コツコツとの方へと歩き出した。 は唇を噛み締めて俯いた。 「その二十点の減点は取り消しだな」 パーキンソンは間抜けな声を出して、それが廊下に反響した。 「水をぶちまけたぐらいで二十点も引くなんて、スリザリンの監督生を貶めるつもりか?」 「そ、それは―――」 「嫌なことに、おまえの失態はもう一人の監督生である僕にも影響するんだぞ」 の近くまで来るとマルフォイは足を止めて、パーキンソンを振り返った。 「僕の顔に泥を塗るつもりか?」 「わ、私べつに、そんなつもりじゃ……!」 パーキンソンは顔を耳まで赤くして、キッとを睨みつけると走って廊下の角を曲がっていってしまった。 その友人たちも慌てて彼女の後を追っていった。 足音が消えると、マルフォイはを見た。 「あ、あの……」 は訳が分からず、マルフォイを見上げる。 じんじんと額が痛む。 「また泣いてるんだな」 マルフォイはそう言って、鼻で笑った。 慌てては自分の頬に手をやると、確かに涙が伝った跡があった。 マルフォイがローブから杖を取り出して一振りすると、水溜りが蒸発するようにして消えた。 ははた、と思い出して慌てて言った。 「“また”じゃないの。この間の大広間でのやつは、目にごみが入っただけ……」 「ああ、そうだったな」 言い訳をしてもこの人にはお見通しなのかもしれない、とは思った。 マルフォイは転がっているバケツを持ち上げて、訝しげに見ている。 は先ほどのパーキンソンとのことを思い出した。 誰かに対してあんなに感情を荒げることなど、したことがなかった。 そう思うと今まで張り詰めていたものが切れるようにして、はぽろぽろと涙を零した。 マルフォイは見てみぬふりをしてくれた。それが今はとても有難かった。 「やっぱり……マルフォイ君は優しい」 がそう言ったとき、廊下に話し声が響いた。 生徒数人が、向こうの廊下の角を曲がってこちらへやって来る。 「言っただろう。僕は優しくなんてない。絶対に」 マルフォイはバケツを置くとそう言った。 まるで自分に言い聞かせているみたいだ、とは思ったがあえて口にはしなかった。 「早く服を乾かしておけ。それにその額、どうせ自分で治せるんだろ。青くなる前に何とかしとけ」 口早にそう言うと、マルフォイは近づいてくる生徒達を避けるようにして去って行った。 そのレイブンクローの生徒達は首を傾げてマルフォイの背中を見ていたが、座り込むに気付くと目を丸くした。 「どうしたの?大丈夫?」 生徒の一人がに駆け寄ってきた。 それはと同じ黒髪の女の子、チョウ・チャンだった。 はハリーがチョウのことを気に掛けているとハーマイオニーに聞かされていたので、すぐに分かった。 「大丈夫です。ご親切にどうもありがとうございます」 立ち上がり、チョウに頭を下げる。 その場を去ろうと背を向けたとき、チョウが呼び止めた。 「あれは、あなたのふくろう?」 「え?」 私はふくろうを持ってません、と言おうとしたが、チョウはにっこりと微笑むと、開け放たれた廊下の窓を指差した。 そこには小さなふくろうが一羽、をじっと見つめていた。 「……あ―――」 それはこの間が傷を治したモリフクロウだった。 すぐに窓辺に駆け寄ると、モリフクロウは嬉しそうにホッホと鳴いた。 「あなたは・よね?」 チョウは後ろからそう聞いた。 が頷くと、チョウは「そう」と言って笑む。 「私はチョウ・チャンよ。よろしくね」 「はい。知ってます」 チョウは少し面食らったように目を開いたが、やわらかに微笑んだ。 「それは光栄だわ」 笑顔が似合う女性だ、とは思った。 チョウはとふくろうと見ると、また微笑んだ。 そうして、「じゃあね」と手を振ると、友人たちと歩いて行った。 「どうしたの?また怪我したの?」 さっと視線をモリフクロウに戻して、が尋ねた。 ふくろうはホッホと鳴いて、自分が元気であるということを伝えた。 「じゃあ早くふくろう小屋に戻りなさい」 優しく言うと、ふくろうはぴょん、との肩に飛び乗った。 が何か言おうと口を開くと、窓から冷たい風が吹いた。 外はすっかり日が傾いて、遠くのクィディッチ競技場にそびえ立つスタンドに夕陽が落ちていくようだった。 「あなたも暖炉で暖まりたいんだね」 肩のふくろうにそう言うと、ふくろうはホーっと鳴いた。は歩き出す。 早く暖炉で暖まって、ハリーに言おう。チャンさんはとても素敵な人だね、と。 ロンには、次の練習も頑張ってね、と。 ハーマイオニーには、約束をすっぽかしてごめんね、と謝ろう。 そして三人に伝えよう。 やっぱりマルフォイ君は優しい人だよ、と。 (2007.8.19) |