27.四人の絆


「今日も授業に出なかったのか。監督生様」

 そう言われて、ベッドに仰向けに横たわっているマルフォイは視線だけを声の方へ向けた。たった今寝室へ戻ってきたばかりのセオドール・ノットが、ローブを脱ぎながら言う。

「さっきを見かけた。グレンジャーも一緒にいたぞ」
「……いつものことだろう」
「何言ってんだか。近頃のが一人で居ることを何かと気にしてたのは、どこのどいつだ」

 冷やかすような口調で言うノットに、マルフォイは顔をしかめた。そうして寝返りを打ち、ノットに背を向ける。

「お前より、毎日生真面目に授業に出ている俺の方がよっぽど監督生にふさわしいな」
「じゃあお前がなれ」
「いや。せっかくだが、遠慮しとく。パーキンソンの世話はごめんだ」

 喉の奥でくつくつと笑いながらネクタイを緩める。マルフォイは体を起こし、ベッド脇に掛けてあった自分のローブを漁りだす。その様子に気づいたノットがマルフォイの方を向くと同時に、額に何かがぶつかった。床に転がったものを拾い上げながらノットは苦笑する。

「だから、ジョークだって」

 マルフォイが投げた銀色の監督生バッジを手の中で転がす。「パーキンソンを飼い馴らせるのはお前だけだよ」というノットの言葉を、再びベッドに横になったマルフォイは舌打ちで一蹴した。

「夕食は?食べたか?」
「いや」
「早く行かないと、そろそろ片付けられる時間だぞ」」
「何も食べる気がしない」
「そうか。旨かったのにな、スシ」
「……スシ?」
「ああ。こんな小さなライスの上に魚の切り身が乗ってるんだ。なんでも、日本の料理らしい」

 マルフォイの眉がぴくりと動いた。ノットはなおもバッジを転がしながら続ける。

「クラッブが随分とがっついてた。その後トイレに行ってしばらく出てこなかったみたいだが、あいつは大丈夫かな。まあ、それほど旨かったってわけだ。お前も食えば良かったけど、食欲が無いなら仕方ないな」

 言い終えると、ノットは転がるバッジに集中している振りをしながら、横目でマルフォイの様子を盗み見た。すぐに目を逸らそうとしたが、マルフォイが鼻で笑ったので、ノットはそのままその横顔に視線を定めた。

「お前にしては珍しく遠回しな言い方じゃないか。無神経なほどずけずけと物を言うのがお前だろう。気になるなら率直に訊け」

 ノットは手を止めて目を丸くした後、ため息交じりに笑った。そうしてマルフォイの傍らに腰を下ろす。スプリングがギシリと軋む。

に、全部話したのか?」

 ドラコはしばらく間を置いた後に「ああ」とほとんど囁くように答えた。

「彼女は何て?」
「……」
「――許したんだろう」

 ノットが確信めいたようにそう言ったので、マルフォイは眉をひそめた。大広間で見かけたの表情は、どこか晴れ晴れとしていた。その傍らに居たハーマイオニー・グレンジャーもまた然りだ。おそらくスシの食べ方を教えていたのだろう。がグレンジャーの手を取り、笑い合っていた姿を思い起こしながら、ノットは言った。

「彼女にとって、今までお前が思い悩んできたことは、嘆き悲しんで塞ぎ込むほど大したものじゃなかったのかもしれないな」

 そうして視線に気づき振り返ると、傍らのマルフォイが目を見開いてこちらを見上げていた。
 すごいな、とノットは思った。幼馴染の自分でも、マルフォイのこんな表情は見たことがない。思えば彼女の話になるといつでもそうだった。それまでは見せたことのないような表情を、彼はするのだ。
 マルフォイの目は元の大きさまで戻り、そうしてそのまま瞼を閉じた。

「……分からない」
「何が?」
「どうしたら良いのか。どうするべきなのか」

 目元を腕で覆い隠したマルフォイを見下ろし、ノットが静かに尋ねる。

「お前は、どうしたいんだ?」

 ひゅっと息を吸う音が、かすかに聴こえた。
 ノットは立ち上がり、顔を隠したままのマルフォイの額に監督生バッジを乗せた。いつもの彼ならば「やめろ」と言って払い落すのに、それでも腕を退けて顔を出さないのは――。
 細く息を吐き、ノットは笑んだ。

「お前がどうしたいか。俺は九年前から知ってるさ」





 翌朝の大広間には、クラッブやゴイル、ノットと共に朝食を摂るマルフォイの姿があった。トーストを一枚食べ、後はコーヒーを啜っているだけのマルフォイを気遣い、ゴイルはソーセージやマッシュポテトを勧めたが、マルフォイは拒んだ。大広間に入ってきたパーキンソンは、スリザリンテーブルにマルフォイの姿を目ざとく見つけると、駆けてやって来た。

「ドラコ!近頃まともに授業に出てなかったみたいだから、とても心配したのよ。大丈夫?顔色が悪いわ!」

 その甲高い声にマルフォイは顔をしかめたが、パーキンソンは構わず続ける。

「体調が悪いのね?ああ、早く私に言ってくれれば!もう平気なの?ほら、ちゃんと栄養を摂って、温かくして……」

 マルフォイの襟を寄せようと手を伸ばしたとき、パーキンソンは首を傾げた。

「監督生バッジはどうしたの?」

 ローブに銀色のバッジが付けられていないことに気づいたのだ。マルフォイは自分の左胸を見下ろす。

「ああ、部屋に置いたままだった」
「どうして!」

 途端にパーキンソンが声を上げたので、マルフォイは再び顔をしかめる。向かいの席のノットは、トーストにママレード・ジャムを塗りながら成り行きを窺っている。

「あのバッジは、監督生の私とあなたは絶対に胸に付けておかなくちゃならないの。いつも、いつもよ!」
「今日はたまたま忘れただけだ。何をそんなに喚く必要があるんだ?たかがバッジごときで」

 煩わしそうにマルフォイが言えば、パーキンソンはいよいよ泣きそうな顔になり、口元をふるふると震わせた。

「あれは……あのバッジは、私とドラコだけの……」

 そこまで言うとパーキンソンは堪え切れずに涙を流した。訳が分らないという風にマルフォイがこちらを見てきたので、ノットは肩をすぼめてそれに返した。

「最近のあなたは変よ……」

 しばらく泣きじゃくった後、パーキンソンが言う。

「前はそんなじゃなかった。私は、分かってるんだから……あなたが変になったのは全部、全部あの女のせいだって、分かってるんだからね……」

 唸るようなその声に、ノットもゴイルも、ナゲットを口に頬張っていたクラッブも動作を止めた。
 パーキンソンはマルフォイのローブの肩口を掴む。彼は目を細めて、悲しみと怒りに顔を歪めるパーキンソンを見下ろす。

「ねえドラコ、忘れないで。あなたはスリザリン生で、由緒正しき純血一族の子息なのよ。今のあなたをお父上様が知ったら――」
「黙れ」

 マルフォイはパーキンソンの手を払いのけ、席を立った。

「知ったような口を利くな」

 パーキンソンの背後を通り過ぎるとき、マルフォイは呟くように言った。彼女にしか聞こえなかったのだろう。そのひどく冷ややかな声に、パーキンソンの背筋はぞっと震えた。
 靴音を響かせながらマルフォイが去って行く。パーキンソンは途端にテーブルに突っ伏し、わあっと声を上げて泣き出した。大広間から出て行くマルフォイの背を見やりながら、ノットは「タイミングが悪かったな」と独りごちた。





「うわ、吹雪いてやがる!」

 玄関ホールの大扉の隙間から顔を出したロンは、そう言うとすぐに扉を閉めた。

「こんな中を温室まで行かなきゃならないなんてごめんだ!」
「もう、ロンったら。早く扉を開けて外へ出てよ。授業に遅れるじゃない」
「あ、もう少し待って。まだハリーがトイレから戻って来ないから」

 嫌だ嫌だと首を振るロンをハーマイオニーが急き立てるのを、が制した。
 一限目の薬草学は校庭を抜けた温室で行われる。今日は天気が悪く気温もひどく低いので、外へ出るのがいつもに増して億劫だった。他のグリフィンドール生らも防寒具をしっかり身に付け、まるで今から戦地にでも向かうような顔をしていた。

「君のその耳当ていいなあ……」
「使う?」
「え、いいの?」
「だめよ!、あなたの耳が凍っちゃうわ。防寒具が手袋しか無いロンがいけないのよ。ちゃんと準備しておかないから」

 は自分の耳当てを外してロンに渡そうとしていたが、ハーマイオニーが取り上げた。そうして再びの耳に装着させているところへ、ハリーが走って来た。「遅いわ。授業に遅れちゃう」と厳しく言うハーマイオニーに、ハリーはごめんと謝る。

「じゃあ、早く行きましょう」

 そう言って、今度はハーマイオニーが先頭を切って扉に手を押し当てた。隙間から冷たい風と共に雪が吹きつけてくる。

「君のそのマフラーいいなあ」

 風に押し戻されぬよう力強く一歩を踏み出しながら、ロンが歯を食いしばるように言った。
 
「あ、これはダメ」

 がすかさず拒んだので、ロンは首を傾げた。「ごめんね」と謝りながら微笑むは、首元に巻いた黒のマフラーをしっかりと握った。その様子を横目で見て、ハーマイオニーはうっすらと笑んだ。

「ああ、寒い。このままだと凍死するよ」
「大げさね」

 ローブのフードを被りポケットに手を突っ込んで歩くロンは、傍らのハリーに身をぴったりと合わせて歩く。

「ロン。そんなにくっつかれると気持ち悪いよ」
「冷たいこと言うなよハリー。こうしてると少しは寒さが紛れるんだ」

 「おえっ」と舌を出しておどけて見せるハリーに、ハーマイオニーとは笑った。
 温室へ向かう坂道から、水面が凍りついた湖が見下ろせた。スケートがしたくなるね、とハーマイオニーとが話していると、「スケートって何?」とロンが訊いた。それにハリーが答え、ロンが疑問を投げかけ、ハーマイオニーが反論をする。何でもないことで笑い合って過ごせるこの時が、の胸を温かくさせた。「幸せだ」。そう思いながら何気なく湖のほとりを見やると、吹雪きの隙間に何かが見え隠れした。

?」

 不意に立ち止まったに、ハリーが声を掛ける。は目を細め、ただ一点を見つめている。その様子に気付いたロンとハーマイオニーも足を止め、二人の方を振り返った。ハリーもの視線の先に目をやってみたが、何も見えない。

、何が――」

 あっと声を上げたと思えば、は駆け出した。
 雪に足を取られて何度も転びながら、は駆けた。見えたのだ。確かに。あの木の下に、雪の白以外の色が。プラチナ・ブロンドが――。

「マルフォイ君!」

 の声の先には、ブナの木に寄り掛かり、ぐったりと座るマルフォイが居た。目はかたく閉じている。は駆け寄り、再び声を上げる。

「マルフォイ君!」

 手袋を外し、その頬に触れる。冷たいかと思えばひどく熱かった。額に手を当ててみれば、そこは頬よりもさらに熱を持っていた。口元に耳を寄せれば、彼が荒い呼吸をしていることが分かった。

「マルフォイ?こんなところで……」

 の後を追ってきたハリー達は、ぐったりと木にもたれているマルフォイに気付くと目を丸くした。防寒具を何一つ身に付けていないマルフォイに、は手早く自らのマフラーを首に巻き、耳当てを被せる。さらにローブを脱ごうとしたを、ロンが制した。そうして何も言わずにローブを脱ぎ、それをマルフォイに被せた。

「ひどい熱ね。早く医務室に連れて行きましょう」

 ハーマイオニーがそう言うと、ハリーは左脇を、ロンは右脇を持ち、マルフォイを抱え上げた。途端に、の視線はぐらりと揺らぐ。
 こぼれた涙はすぐに風に攫われ、誰もが泣いていることに気付かなかった。ハーマイオニーが先導し、マルフォイを抱えたハリーとロンがそれに付いて歩く後ろを行くは、校庭から玄関へ向かう間ずっと涙を流していた。
 四人は嫌がるかもしれない。しかし、感じたのだ。彼らの間にある、友情とはまた別の絆を。マルフォイ君は気付いているだろうか。首から、耳から、腕から伝わる温もりを、感じているだろうか。






(2010.11.20)