26.想う心 「ハーマイオニー、まだ寝ないの?」 開け放した窓から冷たい夜風が吹き込み、栗色の巻き毛が風にさらわれる。ハーマイオニーは窓枠で頬杖をついたまま、振り返らずに言う。 「あなたたちもね。ジニー、フレッド」 ジニーはその言葉に苦笑し、ソファに横たわるフレッドの足元に腰を下ろした。フレッドは先ほどから天井を見つめたまま、一言も発さない。ハーマイオニーも、ジニーが声を掛けるまでは窓の外を眺めたまま何も言わなかった。そんな二人から目を話すと、ソファの背に寄り掛かり、ふうっと息を吐く。そうしながら、ジニーは思い返していた。 大広間でと別れた後、談話室に戻ったジニーにフレッドが「はどこに居る?」と訊いた。 「人と会わなきゃいけないからって、大広間で別れてきたわ」 「そうか。やっぱり」 そう言いながら何度も頷いたフレッド。ジニーは首を傾げる。 「何か知ってるの?」 目を細めながらそう尋ねる妹に、フレッドは一度唇を噛み締めた後で答えた。 「、マルフォイと会うんだ。昨日、にマルフォイからの手紙が届いたとき、俺も隣に居たから知ってる。に話したいことがあるらしい」 フレッドはそう言って暖炉前のソファに横たわると、それっきり何も話さなくなった。 事情を知っているジニーとフレッドは、が寮へ戻ってくるのを待っていた。ハーマイオニーは九時過ぎに談話室へ入ってくると、ジニーとフレッドには目もくれず、窓を開いて外を眺めたままだった。 二人が会っていることを、ハーマイオニーは知っているのだろうか。回想を終えると、ジニーはハーマイオニーの背を見やり、思った。 「誰か待ってるの?」 ジニーが口を開く前に、ハーマイオニーがそう訊いた。 「……私も、今あなたに同じことを訊こうとしてた」 「そう」 振り返ったハーマイオニーは、うっすらと笑んでいた。 「私はただ、今夜は月が綺麗だなと思って」 そう言ったハーマイオニーは、風になびく髪を左手で押さえつけた。眉根を寄せたジニーは、静かにソファから離れる。そうして窓辺までやって来ると、ハーマイオニーの顔を覗き込んだ。 「ねえ」 「何?」 「泣きそうな顔してるわ」 ジニーの言葉に、ハーマイオニーの目元がぴくりと痙攣した。唇もわずかに震えた。 「……言わないで。堪えてるんだから」 絞り出すようにそう言った。ジニーは「ごめんね」と謝ると、唇を噛み締めるハーマイオニーの肩を撫でた。 そのとき、肖像画の開く地鳴りのような音が談話室に響いた。 「ハーマイオニー」 その声に、フレッドは勢い良く上体を起こす。ジニーも声の方を振り返り、薄暗がりの中から現われたその人の姿を認めると、再びハーマイオニーに視線を戻した。 「……ハーマイオニー」 身を固くするハーマイオニーに、ジニーは囁き掛けた。 「が帰ってきた」 何度も小さく頷いたハーマイオニー。ジニーはを振り返り、 「おかえりなさい」 とほほ笑んだ。表情を強張らせていただったが、ジニーのその一言に、かすかに口元を緩ませた。しかし、フレッドの姿に気がつくと、唇を噛み締めて視線を下げた。その様子を見て、フレッドは「ハッ」と短く笑った。 「どうした?。俺の顔、何かおかしいか?」 「違う」 そう言って顔を上げたに、フレッドは目を丸くした。 「ありがとう、フレッド」 曇りの無い真っ直ぐな目とは、このことを言うのか。フレッドはそう思い、すべてを悟った。 「どういたしまして」 フレッドの言葉に、唇をきゅっと結び、大きく頷いた。そうして、窓辺のハーマイオニーとジニーの方へ歩を進めた。が近くまで来ると、ジニーは一歩下がる。 「私気付いたの。やっと分かった」 窓枠にもたれかかり、顔を下げたままのハーマイオニーを見据え、はゆっくりと言う。 「ハーマイオニー、あなたに一番に伝え――」 「嫌よ。聞かない」 ハーマイオニーはの言葉を遮り、そう放った。 「どうして?」 「嫌よ、嫌」 「ハーマイオニーお願い、聞いて。私ね」 首をぶんぶんと横に振るハーマイオニーの肩を掴み、は辛抱強く話を続ける。 「あのね、私――」 の言葉が途切れた。ハーマイオニーが勢いよくの手を振り払ったのだ。そのままを睨みつけると、叫んだ。 「私はマルフォイを好きなあなたなんて嫌いよ!」 「ハーマイオニー!」 ジニーが声を上げて、息巻くハーマイオニーを押さえつけた。 「嫌よ、嫌!あなたは何も分かってない!」 「ハーマイオニー落ち着いて!」 「なんでよ!どうしてマルフォイなのよ!」 は目を見開き、泣き叫ぶハーマイオニーに言葉を失っていた。 「いい?落ち着くの。落ち着くのよ」 そう言って背を擦るジニーがソファへ誘おうとすると、ハーマイオニーはそれを振りきり、駆け出した。 「ハーマイオニー!」 肖像画へ向かったハーマイオニーの後をジニーが追おうとすると、ソファから手が伸び、ジニーの腕を掴んだ。 「いい、ジニー。俺が行く」 フレッドは冷静だった。窓辺に立ち尽くすの方を見やり、 「お前はを」 と言うと、急ぎ足で談話室から出て行った。 肖像画が閉まり、フレッドの足音は遠くなっていった。ジニーはに近寄って、その背中を擦った。 「私……どうしたらいいの?ハーマイオニーに嫌われたくないし、マルフォイ君を嫌いになんてなれない」 涙が次から次へと頬を伝い、流れ落ちる。ジニーは小さく何度も頷きながら、を暖炉前のソファへ座らせた。 しゃくり上げながら泣くにジニーは掛ける言葉が見つからず、ただ体を引き寄せ、唇を結んでいた。 「あのね、ジニー」 ようやく嗚咽がおさまりだした頃、不意にが口を開いた。 「忘れられない男の子は、マルフォイ君だった。私の記憶が曖昧な理由も分かった」 「……理由?」 「私、マルフォイ君のお父さんに、忘却呪文をかけられてたの」 「そんな……」 ジニーは息をのんだ。 「ねえ、あなた、それでもマルフォイを庇うの?そんなことをされても?」 は首を振って言う。 「どうしようもなかったのよ。マルフォイ君は、お父さんを止められなかった」 「でも――」 「でも、私は憎んでないの。マルフォイ氏のことも、誰も恨んでないの。だって、一番忘れたくなかったこと、憶えてるんだもん。マルフォイ君に逢ったときのこと。ありがとうって言ってくれたこと」 再び込み上げてきた涙を堪えながら言った。ジニーは、スカートの裾を握り締めるの手を包む。小刻みに震えている。彼女も、ハーマイオニーも、ずっとギリギリだったんだ。それを改めて知ると、ジニーは泣きたくなった。 「ハーマイオニーは、あなたのことが心配なのよ。あなたが、私たちとマルフォイとの間で板挟みになって苦しむんじゃないかって。マルフォイの父親のこともあるし……」 「でも、マルフォイ君自身は死喰い人じゃない。マルフォイ氏だって、きっと事情があって闇の陣営から抜けられないんだよ」 それはまるで自分に言い聞かせているようでもあった。ジニーは首を振りながら息を吐いた。 「お人好しすぎるのよね、は」 その言葉に、一瞬、の呼吸が止まった。ジニーはの顔を覗き込むと、続ける。 「たまにあなたを見てて苦しくなるの。いつも笑っていなくていいのよ?腹が立ったときは怒っていいの。たまには人を憎んだっていいし、悪口だって泣き言だって吐いていい。最後にまた笑えれば、それまではどんなに醜くても良いと私は思うの。ねえ、。もっと、人間臭くなって」 言い終わったとき、がジニーの頬にそっと触れた。そうやって初めて、ジニーは自分が泣いていたことに気がついたのだ。目の前では、もはらはらと涙を流していた。 「ありがとう。でも、それでも私は、誰も責めたくない。誰も憎みたくないの」 「怖いのよ。もしこの先、マルフォイが死喰い人になって、も唆されて闇の陣営に付いたらどうしようって。私たちと対立することになったらって」 薄暗い廊下の隅に、ハーマイオニーは蹲っていた。その傍らで腕を組み、壁に寄り掛かっていたフレッドは静かに言う。 「君はが好きか?」 「好きよ!」 その問いに、ハーマイオニーはとっさに顔を上げた。 「……大好きよ。当たり前でしょう」 言いながら、再び涙が溢れた。 「じゃあ彼女を信じろよ」 「……」 「彼女が選んだ男のことも。俺たちが知ってるマルフォイは嫌な奴以外の何者でもないけど、が惚れるぐらいだ。きっと、良いところも人並みには持ってるんだろ」 フレッドはその場に腰を下ろし、天井を仰ぎ見ながら続ける。 「俺はがめちゃくちゃ好きだから、彼女が奴を好きだって言うんなら、マルフォイのこと、トロールの鼻クソの次ぐらいには好きって思える努力はするさ」 そこで言葉を止めると、フレッドはしばらく空を仰いだままだった。ハーマイオニーはフレッドの横顔を見つめながら、を想った。きっとフレッドも同じように想っているんだろう。 目に浮かぶのは、の笑顔。耳に聴こえるのは、の笑い声。が笑っているところをしばらく見ていない。そう思うと、ハーマイオニーは苦しくなった。 「私……馬鹿ね」 「君は馬鹿じゃない」 「いっそのこと、馬鹿って言ってほしいわ……」 「馬鹿ではない。ただ、あまりに強くを想いすぎてるだけだ」 頭を抱え込むハーマイオニーに、フレッドは言う。 「はもう覚悟を決めてる。この恋は、幸せなことよりも辛いことの方が多いだろうって、きっと分かってる。でも、はもう腹を括ってるんだ」 ハーマイオニーは顔を上げた。そんな彼女の頭を、フレッドは引き寄せた。その拍子に、ハーマイオニーの肩にはじわりと温もりが広がった。涙。フレッドの涙だ。 「信じよう、ハーマイオニー。あの二人を」 空は白み始めた。しかしもジニーも、ソファに身を沈めてはいるが、目は冴えていた。 静寂に包まれていた談話室に肖像画が開く音が響く。はソファから飛び起きる。そうして、フレッドに連れられて入ってきたハーマイオニーの姿を認めると、 「ハーマイオニー」 と、涙声で囁いた。ハーマイオニーはと視線を合わせる。二人は久しぶりに顔を向き合わせた。 「――私、私……」 泣きながら言葉を詰まらせる。ハーマイオニーは何も言わない。の言葉を待っているようだった。それに気づくと、は肩の力がふっと抜けた。 一度俯くと、両手で目元を覆って涙を拭い去る。そうして再び顔を上げたとき、は、笑っていた。 「私、マルフォイ君が好き」 その瞬間、ハーマイオニーは駆け出した。 「知ってたわ。ずっと前から」 そうして、に抱きついた。もハーマイオニーの背に腕を回す。 「ごめんね。たくさん悩ませて、ごめんなさい。私を想ってくれて、ありがとう」 が言うと、ハーマイオニーは体を離した。そうしてを真っ直ぐに見据え、言った。 「あなたを信じてる」 そうして二人は抱き合ったまま、声を上げて泣いた。 (2010.7.4) |