19.親友として 翌日から、ハーマイオニーがあからさまにを避けるようになった。朝食では三人から離れたところに座り、それはもちろん授業でも同じことだった。一方のは、そんなハーマイオニーを横目で見ては悲しそうな顔で俯くだけで、何が起こったのか皆目分からないハリーやロンは、居心地の悪い雰囲気にただ耐えるしかなかった。 「あの二人、一体どうしたっていうんだ」 夕食後の談話室には他の生徒の姿はなく、ハリーとロン、ようやく二人きりになったときに堪りかねたかのようにロンが言った。昨晩まではいつも通りに仲が良かったのに。自分たちが寝ている間に天変地異でも起こったのかと疑うほどの変わりようだ。 「事情は分からないけど、あんなハーマイオニーは久しぶりに見た気がするな。君と喧嘩してもなかなかあそこまではいかないのに」 「いや、もっとひどいぜ。なんたって、ヒステリックに叫びだすからなあ」 ロンは回想にふけるように空を仰いだ。 「でも、避けるなんて。しかもを。なんというか、ハーマイオニーらしくないというか……」 ハリーはそう言いながらふと腕時計に目をやると、針は五時過ぎを指していた。あと三十分でスネイプと閉心術の訓練だと思うと、胸焼けしたような晴れない気持ちになる。しかしロンが「そこなんだよな」といかにも思慮深い声色で言ったので、スネイプのことはひとまず隅に置いた。 「あいつ、を避けてはいても、つんけんしてはいないんだよ」 そう言われて今日一日を思い返してみると、ハーマイオニーとの二人は何度か視線がぶつかったが、ハーマイオニーはそっぽを向くでもなく、口元を結んで少し気まずそうに目を離すだけで、その態度からへの怒りを感じ取ることはできなかった。 「つまり?」 「つまり、怒ってはないってこと。なにか思うところがあって、しかもそれはの近くに居ると考えづらいことで……」 「だからひとまず距離を置いてるってこと?」 「そう、それだ!」 ロンは手をぱんっと叩いて、ハリーの顔を指差した。 「僕はそうだと思うな。距離を置いてるんだ、ハーマイオニーはに」 「君にしてはずいぶんよく推測したね」 「お褒めの言葉をどうも」 すっきりとしたような表情で伸びをするロンに、ハリーは首を傾げる。 「でも、なぜ?距離を置いてまで考えることって、いったい何だろう」 ロンは、解けたと思ったパズルにずれが生じていることを指摘されたときのような顔でハリーを見ると、うーんと唸った。 「そりゃあ本人に聞かなきゃ分からないだろ。でもあいつ、昼に図書館で一緒だったときは頑なに口を閉じてたからなあ……。あ、そういえばハリー。チョウは何だって?」 えっ、と突然チョウの名前を出されたハリーは思わず声を漏らした。「ほら、昼間にホールで」と、ロンがにやりと言う。 「…あ、ああ、あれ。うん。今度のホグズミード、バレンタインの日の。あれ、チョウと行くことになったよ」 やったじゃないか!とロンがばしりとハリーの背を叩いた。照れくさそうに笑んだハリーの肩越しに何を見たのか、ロンは目を丸くした。 「一緒に図書館へ行かないか、ハーマイオニー!」 その名前を聞いてハリーもいそいで振り返ると、たった今寮へ帰ってきたばかりという風のハーマイオニーがにこやかに手を振るロンを訝しげに見ていた。片腕には何冊もの本を抱え、溢れんばかりの羊皮紙が手提げバッグから覗いている。 「たった今行ってきたばかりよ」 「僕もたった今行きたくなったんだよ、君と。ハリーはチョウと行くみたいだけど。ああ、ホグズミードにだけどね」 まるで真似妖怪がロンに化けているとでもいうように疑わしげに眺めていたハーマイオニーだったが、チョウの話を聞くとこちらにひょっこりと顔を覗かせ「あら、おめでとうハリー」と言うのだった。 「じゃあ行こうか」 「行くの?本気?何をしに行くのよ」 「宿題さ、有り難くもアンブリッジが大量に出してくださったじゃないか」 「もう終わったわ」 「僕がまだ終わってない」 この人をどうにかして、と無言で訴えかけるハーマイオニーの視線から逃げるように、 「僕ももう行かなくちゃ」 と、腕時計に目をやった。ずしりと体が重くなった気がする。「じゃあ途中まで一緒に行こう」というロンの言葉に、ハーマイオニーは渋々従った。三人が肖像画から外へ出るとき、談話室の方からぱたぱたと階段を下りてくる音が聴こえた。強引なんだから、と文句を言うハーマイオニーをロンが宥める様子を前に見ていたハリーがその視線を後ろへ移すと、肖像画が閉まっていくその隙間から、きょろきょろと談話室を見渡すの姿を見た気がした。 「それはいいから、はやく宿題を終わらせましょう」 もう何時間も粘ってはいるのだが、ハーマイオニーはそう言って話をはぐらかしてはロンに羽ペンを握らせる。図書館にはアンブリッジの出した鬼のような宿題の山と戦う五年生の姿が多く見られ、誰もが必死さに顔を歪めながら羊皮紙に向かっていた。 ロンはもう何十回もハーマイオニーに訊いている。なぜを避けるのか、と。 「あなたに関係―――」 「ある。僕ら親友だろ?」 ロン、と呟くように言った後、ハーマイオニーはため息をついた。 「あなた、どうしてもやる気が起きないみたいね」 ひとつも片付いていない宿題を指して呆れたように首を振った。 「気になって手もつけられないさ。今日一日中君に避けられてた哀れなは今頃どうしてるだろうかって」 「じゃあはやく寮に戻りなさいよ。私に構ってなんかいないで!」 「でも君のことはもっと気になる」 ハーマイオニーは予想外のロンの言葉に思わずひるんだ。 「君ってやつが親友と距離を置くなんて、よっぽどのことが無いとするはずないだろ?」 ハーマイオニーが力なく俯いたので、ロンは無理に返事を求めようとせず、静かに教科書を開いてペンを走らせはじめた。 しばらく間が空いた。羊皮紙を滑るペンの音が、不意に聴こえてきたすすり泣きの声で止まった。 「おい、ハーマイオニー?」 ペンを置いたロンが傍らで小刻みに肩を震わせるハーマイオニーの顔を覗き込んだ。しかしハーマイオニーは泣き顔を見られたくないのか、さっと手で覆ってしまった。ロンはため息をついたが、その頬は無意識のうちに緩んでいた。 「泣くのはいいけど、むせび泣くのは勘弁してくれよ。マダム・ピンスが飛んで来るからさ」 「……私は、だめな親友よ」 とつぜん、くぐもった声が鼻を啜る音の裏から聴こえはじめた。 「私は、悪い所しか知らない。長所なんて見ようとしないし、したくない。認めたくないの。今まで何年もそうしてきたのよ、それを急に変えることなんて出来ない。どうしても、否定することしか出来ないのよ」 いまやハーマイオニーは覆っていた手を下ろし、涙に濡れたその頬は松明のあかりに照らされている。 「誰のことを?」 息を荒くするハーマイオニーを落ち着かせるように、努めて穏やかな口調でロンは言ったが心臓はいつもより速く脈打っていた。ハーマイオニーは唇を結んだが、意を決したようにしてそれを解いた。 「……マルフォイ、ドラコ・マルフォイ」 その返事にロンは眉をひそめた。 「君、ハーマイオニー。もしかして……マルフォイに、惚れたのかよ」 「私じゃない」 ハーマイオニーは周囲を見渡し、迷惑そうにこちらを見る生徒や好奇の目を向ける生徒を警戒するようにした後に、ロンの傍へ近寄って耳打ちをした。それを聴いたロンは何とも言えない表情をして、手持ち無沙汰な手を羽ペンに向けた。 「でもそれは、僕たちに止めることはできないよ」 「分かってるわ」 「まずは本人に自覚させないと」 「……気づかせたくない。出来ることなら、にはこのまま気づいてほしくない」 「無茶言うなよ。いずれ知るさ、それが恋心なんだって」 ロンは羽ペンをインク壺に浸しては抜き、浸しては抜き、それを何回も繰り返している。ハーマイオニーは大きく息を吐き、頭を抱えた。 「いずれ知るとしても、それを知らせるのが私だなんて嫌よ。だって、相手は―――マルフォイなのよ?父親は元死喰い人だし、闇の世界に片足突っ込んでるような人なのよ?」 「でもマルフォイは死喰い人じゃない。そんな勇気さえない臆病者だ。いいか、ハーマイオニー。君がマルフォイを嫌うのは分かる。僕だって嫌いさ、あんな奴。これまでどれほど迷惑被ってきたことか」 ロンはテーブルに突っ伏していたハーマイオニーを助け起こし、その肩に手を置いて目線を合わせると、言った。 「けどは違う。そりゃあ僕だって認めたくない。でも、好きなんだ。はマルフォイのことを。その事実はいくら優秀な君にだって変えられない、そうだろ?」 返す言葉の見つからないハーマイオニーは、これほど頼もしいロンは初めて見たかもしれない、と頭の片隅でぼんやり思った。 「それに君はだめな親友なんかじゃない。こんなにのことを考えてるんだ。その証拠に、ほら、髪が爆発していつもよりボリューミーに」 そう言うなり髪を一房持ち上げて「ほんとにすごいな」と呟いたロンの腕を、ハーマイオニーは近くにあった教科書を引っつかんで叩いてやった。 「一言余計なのよ」 そうは言ってもハーマイオニーの顔にはいつの間にか微笑みが戻っていて、ロンは打たれた腕を擦りながら朗らかに笑った。 (2008.10.26) |