16.ゴーストレディ 「ウィーズリーさんご無事かしら……ああ、。私、心配で朝食をとる気にもなれないわ……」 その日の朝早く、アーサー・ウィーズリー氏が怪我を負って重体だという話を聞いたハーマイオニーはの部屋に駆け込んで来てこの事態を知らせた。ハリーもウィーズリー兄弟も今はシリウス・ブラックの住むグリモールド・プレイス十二番地に行っている、とまで伝えるとハーマイオニーはぽろぽろと涙を零しはじめた。 突然のことに戸惑うは、そんなハーマイオニーをなだめながら、とりあえず朝食を食べようと大広間へとハーマイオニーの肩を撫でながら向かっていた。 「……きっと大丈夫。今はお癒者さまに全てを任せるしかないよ。大丈夫、大丈夫……」 ウィーズリー夫人や兄弟たちのことを思うとも気が気ではなかったが、念じるように大丈夫と呟きながら何とか大広間の扉を開けてハーマイオニーを中へ誘導した。 ところがが大広間へ入った瞬間に、生徒たちの喋り声がぱたりと止んだ。心臓がひやりとした。皆がを見ている。 「ハーマイオニー、みんなウィーズリーさんのこと知ってるのかな?」 は内心、そうであるように祈りながらハーマイオニーに囁いたが、彼女はそれを否定した。 「このことを知ってるのはまだ私たちだけよ。だってさっきダンブルドアが私に教えて下さったんだもの」 鼻声のハーマイオニーの言葉が終わるか終わらないうちに、意地の悪い声が響いた。 「ほら、見て。ゴーストレディだわ」 見ると、パーキンソンがスリザリンテーブルで満足気に笑んでいる。それが合図のように、大広間はいっせいにザワザワとし始めた。 今度はがハーマイオニーに連れられてグリフィンドールのテーブルへ向かったが、その途中で聞こえてくる生徒たちの声には耳を疑うばかりだった。 「私、ゴーストレディはボーバトンに転校したって聞いてたのよ」 「あのがゴーストレディなんて、そんなのアリかよ?」 ゴーストレディ、ゴーストレディ。そればかりが聞こえてきて、は昨日マートルが自分に言ったことを思い出した。席につくと、グリフィンドールの生徒たちが他の寮に比べて最も盛んにひそひそと囁き合っていた。 「ねえ、ゴーストレディって何なの?」 がそう聞くと、ハーマイオニーはきゅっと結んでいた唇をだんだんと緩めていき、静かに言った。 「ゴーストレディは……昔のあなたが呼ばれていたあだ名よ」 ハーマイオニーは落ち着かないように水の入ったゴブレットに手を伸ばし、一口飲むと言葉を続けた。 「ああ、。黙っていて本当にごめんなさい。あなたが傷つくと思って……でもこんな形で知らされる方がもっと傷つくなんて私、私……考えてもいなかったわ。ああ、本当に―――」 「もういいよ、ハーマイオニー」 不思議なことに今のは、ウィーズリー氏のことに加えてこの件に関しても心を痛めてしまったハーマイオニーは本当に壊れてしまうかもしれない、という思いの方が強かった。 が、私は大丈夫、という風に微笑むとハーマイオニーは鼻を啜った。 「、ねーえ、ー」 得意の猫撫で声でを呼ぶパーキンソンの周りにはいつもの取り巻きの子達がにやにやとしている。 それを見て、ゴーストレディの話を学校中に広めたのはあの人達と嘆きのマートルだとは確信した。 広間の視線がパーキンソンに向けられる。 「良かったじゃない?みんなに“本当の自分”を知ってもらえて」 手を叩いて笑うスリザリンの女子生徒から、次はに視線が移る。そのはパーキンソンから数席離れたところに座るマルフォイの様子をちらりと伺った。 マルフォイは頬杖をついて片手で杖を振り、ゴブレットを兎に変身させたり戻したりと繰り返している。 「あんな女の言うことなんて気にしないで」 ハーマイオニーはそう言うと、にクロワッサンを勧めた。 何事もなかったかのように朝食をとり始めるが面白くなかったのか、パーキンソンは一瞬顔をしかめたがすぐにニヤっとすると、 「でもゴーストレディなんてあだ名、私は絶対嫌だわ。センスがないもの。あーあ、かわいそうな」 と同情するかのような声をあげた。 パーキンソンのその言葉にクロワッサンを千切るの手がぴたりと止まった。 顔をあげて、再び一番向こうにあるスリザリンテーブルを見たにハーマイオニーは心配そうに眉をひそめた。 「大事な友人のお父さまが生死を彷徨っているときに、過去の自分を哀れんでいる暇なんてないのよ」 ハーマイオニーの心配をよそに、凛としてそう言ったに大広間はどよめいた。 それからはいつも通り朝食をとると、ハーマイオニーがサラダを食べ終わるのを待ってから席を立った。 自分たちが大広間の扉まで歩いて行くのを盗み見する生徒達の中に、はマルフォイの姿を見つけた。 しかし、マルフォイはと目が合うと素早く視線を逸らして、向かいの席に座るセオドール・ノットと話し始めた。 「ねえ、見た?あのパーキンソンの顔。本当にあの女、パグ犬そっくりなんだから」 談話室への廊下を歩きながら、ハーマイオニーは愉快そうに言うとパーキンソンの顔の真似をしようと努力していた。 「ああ、だめだわ!私には真似できない」 ウィーズリー氏のことで涙を流したり、眉根を寄せて心配そうに私を見たり。ハーマイオニーは本当に忙しいな。 はそう思いながら隣でクスクス笑うハーマイオニーを見ていた。 「でも、」 足を止め、今度はしみじみとした表情を見せるハーマイオニー。 なに?とも立ち止まる。 「あなたは本当に、強くなったわ」 以前までのだったら、どんなにパーキンソンが意地の悪いことを言ってもそれに対抗することは出来なかった。 それが今では怯むこともなくなったし、堂々と言い返すことも出来るようになった。 ハーマイオニーが以前から気になっていた、のオドオドとした喋り方も、今では滅多に聞かなくなった。 「そうだよね。実は私も自分でそう感じてるの。何でだろう?」 「何でって、それはきっと―――」 ハッと口を噤むハーマイオニーには首を傾げる。 「それはきっと?」 「……いえ。何でもないわ」 「えー何それ!そういうのって一番気になるよ!」 ハーマイオニーは唇の端をきゅっと上げて笑むと、たっぷりとした栗毛を揺らしながら歩き始めた。 「ねえ、何なの?教えてよハーマイオニー」 「言わないわ。だって、言いたくないもの」 二人はそれから、太ったレディの肖像画の前までそんなやり取りを繰り返していたが、寮への入り口を談話室側から登ってきたマクゴナガル先生を見るとぴたりと止まった。 「二人とも、捜したんですよ!」 マクゴナガル先生はとハーマイオニーの元へ靴音を響かせながら歩いて来た。 「こちらに伝わるのが遅れたようです。おかげで数時間も余分に肝を冷やされましたが―――」 「先生、それで……どうなさったんですか?」 ハーマイオニーが聞くと、マクゴナガル先生は「そうです。そうですとも」と言うと一呼吸置いた後に言った。 「アーサー・ウィーズリー氏はご無事です」 小さな声をあげたハーマイオニーは両手で口を覆い、目に涙を浮かべた。 は両目を瞑って安堵したようにため息をつき、マクゴナガル先生はそんな二人を微笑みながら優しく見つめていた。 ハーマイオニーがあんなにも涙した理由は、父親の死に悲しみ打ちひしがれたロンの姿が彼女の頭の中から綺麗に消えてくれたからだろうとは思った。 次の日に、ハーマイオニーはクリスマス休暇で家へ帰る生徒たちと共にホグワーツを後にした。 彼女は両親とスキーに行く予定を変更して、グリモールド・プレイスへ行くのだとに教えてくれた。 は一人、大広間で昼食をとりながら嫌でも聞こえてくるパーキンソンたちの笑い声に、あなたも一緒に来ない?というハーマイオニーの誘いを思い出しては虚しい気持ちになった。 それを断ったのは、がハリー、ロン、ハーマイオニーの三人との間に壁を感じていたからだった。個人個人では壁を感じたことはないのだが、三人揃うとどうしても越えられない高い壁を感じてしまう。 彼らはこの五年間ずっと一緒に過ごし、様々な試練を共に乗り越えてきた。 そんな自分が彼らやシリウス、ウィーズリー家の人々とグリモールド・プレイスで、さも当たり前のようにクリスマスを過ごすなんて厚かましい、そう思った。 スープをスプーンで弄んでいると、ネビル・ロングボトムがの向かいの席に座った。 は笑顔で、 「ネビル、こんにちは」 と挨拶をする。 「あ、ああ……こんにちは」 「ネビルも学校に残ったんだね。O.W.Lがあるせいで、今年は家に帰らない五年生が多いみたい」 「ううん……僕はクリスマスの日だけ家に帰るんだ」 「へー、そんなことも出来るの?」 「う、うん。今年は特別にマクゴナガルが許可してくれたんだ……僕も学校で勉強がしたいから」 いつもより元気のないネビルの様子を不思議に思ったが「気分でも悪いの?」と聞くと、ネビルはそれに首を横に振った。 「あのさ……。僕、頼まれたんだ……みんなに」 ネビルがテーブルの奥に座るグリフィンドール生を横目で見ると、申し訳なさそうに言った。 「君が、その……本当に整形したのかって……」 カシャ、と手からスプーンが滑り落ちて皿の縁に当たった。 「整形って……私が?」 背後で聞こえてきた笑い声に振り向くと、やはりそこにはパーキンソンの集団が馬鹿みたいに笑っていた。 「昨日の朝、君とハーマイオニーが大広間から出て行った後でパーキンソンが大声で言ってたんだ……」 ネビルはの目がだんだんと潤んでいくのを見て、慌てたように言った。 整形だなんて、酷すぎる。 「どうする?ポッターもウィーズリーの赤毛軍団もグレンジャーも、あんたの味方はいないわよ」 パーキンソンが言う。甲高い笑い声が耳を突く。 がここでどう言ったって、皆が納得する証拠もなければ証言してくれる人もいない。 どうして今日からクリスマス休暇なんだろう。どうしてハーマイオニーはグリモールド・プレイスに行ってしまったんだろう。 そんなことを考えているとなお更目頭が熱くなってきて、は走って大広間を飛び出した。 今年のクリスマス休暇は、どうしてこんなにも寂しいのだろう。 まるで、足だけが生きているようだった。玄関ホールを走り抜けて、頬を刺すように冷たい風の吹く雪に覆われた校庭へ出た。 湖が凍っている。そのほとりに変わらず立つブナの木の下に、銀世界の中で眩しいほどに輝くプラチナ・ブロンドの髪。 不思議だった。 こんなにも自分の中に在る自分を疑ったことはない。 あの木の下まで走って行って、そうして、あの背中にすがりたい。そう思った。 (2007.10.28) |