10.見つめあう二人 あっという間に十月が過ぎ、十一月がやってきた。 いよいよグリフィンドール対スリザリンの試合当日になり、朝食をとりに大広間へ向かう途中、ロンは青冷めた顔をして一言も言葉を発することはなかった。 ハリーとロンが大広間に入ると、赤と金で色づくグリフィンドールのテーブルからはワァっと歓声が上がった。 グリフィンドールテーブルへ行く途中、スリザリン生がハリーやロンを囃し立てる声が耳を突いた。 二人の後ろを歩いていたがふと目をやると、スリザリンテーブルではパーキンソンがマルフォイの左腕にまとわりついていた。 チクリ、というあの不思議な胸の痛みが再び襲ったが、はすぐに目を逸らして前を歩くハリーの後ろ頭を見ることに集中した。 「、ねーえ、ー!」 あの嫌な声がの足を止めた。 ハリーとロンはすでにグリフィドールテーブルに着き、生徒らの熱烈な歓迎を受けていた。 が声のした方を見ると、やはりそこにはパーキンソンが意地悪く笑んでいた。 「ちょっと、こっちに来なさいよ」 まだマルフォイの腕にしがみついている。 パーキソンにへばり付かれるマルフォイはにまるで気付いていないように、空いた右手でゴブレットに水を注いでいた。 は一ヶ月近くマルフォイと言葉を交わしていなかったし、マルフォイの方は目も合わせようとしなかった。 は偉そうにそう言ったパーキンソンを睨み、 「いやだ」 とはっきりと答えた。 ゴブレットを持つマルフォイの手がぴくりと動いた。 パーキンソンは不機嫌そうに「ふん」と鼻をならすと、 「あんたに見せたいものがあるのよ」 と言って、首に巻いた緑と銀色のスカーフに付けていた銀のバッジを外して、に投げてよこした。 はとっさにそのバッジを受け取ると、パーキンソンのにやけ顔を見てから、訝しげに自分の手の中にあるその王冠の形をしたバッジに目をやった。 「これって……」 そのバッジに刻まれた文字を読むと、言葉を詰まらせた。 「それ、あげるわよ。まだたっくさんあるから」 パーキソンは猫撫で声でそう言うと、の反応を面白そうに見る。 「こんなのって……ひどい」 “ウィーズリーこそ我が王者”の文字から目を離したは、パーキンソンを睨んだ。 マルフォイはゴブレットに口をつけ、水を少しずつ飲んでいた。 「ひどい?私たちは新キーパーのウィーズリーを応援しようと思ってやってるのよ」 そう言うと、パーキンソンはまるで見せ付けるかのようにマルフォイの肩に頭を乗せた。 「それに、応援歌もあるのよ。まあこれは後でお披露目するから、それまで待っててよ」 スリザリンテーブルでは皆がとパーキンソンのやり取りに耳を傾けているようだった。 グリフィンドールの方ではそれに全く気付く様子もなく、興奮に包まれていた。 どうせ何も言えないだろう、と思って余裕の表情をしていたパーキンソンだったが、自分の元に飛んでくる銀色のバッジに目を丸くした。 猛スピードのバッジが、不思議なことにパーキンソンにはとてもゆっくりとした動きに見えた。 「痛っ!」 王冠形のバッジがパーキンソンの額に思い切りぶち当たった。 多くのスリザリン生が驚いたようにを見た。 「あなたにロンの何が分かるのよ!」 この大声で、大広間中が静まり返った。 騒いでいたグリフィンドールの生徒や、レイブンクロー、ハッフルパフの生徒までもが怒りに震えるに注目した。 はこれまでグリフィンドールチームの練習を何度か見に行ったが、ロンはいつも自分なりに一生懸命に励んでいたし、談話室でもどうやったら上手くゴールを守れるのか一人でずっと考え込んでいた。 そのロンの姿を思い出すと、彼を馬鹿にして冷やかすスリザリン生たちが心底憎く思えた。 ハーマイオニーが心配そうな表情を浮かべて席を立ち、の元へ行こうとする前に、一人のグリフィンドール生が走って通り過ぎた。 それは赤毛で背の高い男子生徒だったが、ロンではなかった。 「」 後ろから掛けられた声に、は今にも涙が溢れ出さんばかりの目を向けた。 フレッドはの頭に優しく手を乗せると、その滑らかな黒髪を撫でた。 「、こんな奴ら相手にするなよ」 そう言って、フレッドはグリフィンドールのテーブルへとの腕を引いて行った。 「なによ、あれ」 パーキンソンが胸くそ悪そうに言うと、マルフォイに同意を促すように顔を向けた。 しかしマルフォイはグリフィンドール生に慰められると、しっかりとその隣に付くフレッドを目を細めて見つめていた。 一方のグリフィンドールのテーブルでは、涙をぐっと堪えるを刺激しないようにと皆が気を遣っていた。 ロンはが自分のために怒ってくれたと思うと申し訳なくもあり、嬉しくもあった。しかし、「なんで自分のために?」という質問をしようとすると、緊張から来る吐き気が再び襲ったので、ロンは口を固く結んでコーンフレークをじっと見つめた。 ハーマイオニーはそっとハンカチを差し伸べてくれ、はそれで涙を拭った。 「。髪、可愛くしてあげる」 ジニーが隣に来て、小さなポーチの中からバラの花飾りを取り出した。 それはジニーのたっぷりとした赤毛にも、ハーマイオニーの栗色の髪にも付いているものだった。 「、ルーナにはもう会ったことある?」 生徒たちが再びお喋りを始めてざわついてきたとき、ハリーはそう言って自分の隣に立つ、獅子の頭をした帽子を被ってぼーっとしたような目でを見ている女の子を指した。 「あ……初めまして。私、・です」 ジニーが「動かないで」と言ったので、目だけをルーナ・ラブグッドに向けて挨拶した。 「あたし、ずうっと前からあんたのこと知ってる」 ルーナは彼女特有の夢見るような声で言った。 「え?」とが首を傾げると、ジニーが「動かないで!」とまた注意した。 「あんた、眼鏡かけてた。それで、いつも隅っこの方にいた」 ハリーもハーマイオニーも驚いた。 同じ寮で同学年の自分たちでさえ気付かなかったのに、レイブンクローで、おまけに一つ下のルーナは前からの存在を知っていたのだ。 「それに、あんたが変なあだ名で呼ばれてたのも知ってるよ」 ルーナがそう言ったとき、の耳元でジニーが「でーきた!」と声を上げた。 「ジニー、あなた才能があるかもしれないわね」 「そうでしょう?うん、とっても素敵よ」 感心するハーマイオニーに笑むと、ジニーは満足気な顔をして手鏡をに渡した。 が自分の姿を見てみると、髪は後ろで団子に結われ、そこに可愛らしく白バラの花飾りが付けられていた。 「じゃあ、私は先にスタンドに行って良い席を取っておくから」 ジニーはそう言うと、陽気に手を振って大広間を出て行った。 それから少し経って、ハリー、ロン、ハーマイオニー、の四人も席を立った。 大広間の生徒たちもそろそろ競技場に行く用意をしていた。 グリフィンドール生はなぜか「応援応援」と呟いて頬をぴしぴしと叩き気合を入れていたし、レイブンクローやハッフルパフ生はハリーやロンに「頑張って」と声を掛けてくれた。スリザリン生は胸元の王冠形バッジが傾いていないか入念にチェックをしている。 「がんばってね、ロン」 顔を青くして、気持ちが悪そうに胸元を擦るロンの頬にハーマイオニーがキスをしたので、ハリーもも目を丸くした。 「さあ、行きましょう」 顔をほんのりと赤く染めたハーマイオニーは、ぼうっとするロンから目を離すと、の腕を引いて大広間から出た。 が振り向くと、ロンはハーマイオニーがキスした頬の辺りを不思議そうな顔をして触っていた。 「ハーマイオニーってば、大胆」 校庭を出ると、冷たい風が顔を襲った。 は白い息を吐きながら少し興奮めいた口調で言った。 ハーマイオニーは何も言わずに、首に巻いた赤と金色のスカーフをいじりながら、はにかんだような笑みを見せた。 それは、今まで見たこともなかったハーマイオニーの表情だった。 は、ふと立ち止まった。 「どうしたの?」 足を止めて、ハーマイオニーの足元をじっと見つめるに振り向いた。 二人の横をハッフルパフの数人の女の子たちが楽しそうに笑いながら通り過ぎる。 「ハーマイオニー、それが“恋”っていうものなの?」 まるでルーン文字で書かれたとてつもなく難しい文章を読んでいるかのような顔で、は言った。 しかしハーマイオニーにはの気持ちが分かる気がした。 自分もそれが恋だと気付いたのは最近のことだったし、それまで恋というものに関しては無知だったからだ。 ハーマイオニーはの隣まで歩いてくると、人差し指を唇にあて、 「ロンには内緒よ」 と言った。 目の前を箒にまたがるグリフィンドールやスリザリンの選手がスピードを上げて飛んでゆくのを、は熱烈応援をするハーマイオニーの隣で見ていた。 リー・ジョーダンの解説がクィディッチ競技場に鳴り響く。 「、誰かを探してるの?」 「えっ?う、ううん」 ハーマイオニーが周囲の歓声に消されないようにと大きな声で聞いたので、が慌てて返事をしたが聞こえなかったらしい。 ハーマイオニーは緑と銀色で溢れるスリザリンのスタンドをじっと見て、 「ねえ、何か聞こえる……歌よ」 と言うなり、グリフィンドールの歓声の中からその歌を捕らえようと集中して耳を澄ませていた。 はそんなハーマイオニーを見て、自分もスリザリンから微かに聞こえてくる歌声を聴こうとしたが、ハーマイオニー並の集中力を身につけていなかったので歌詞が全く聴き取れない。 「この歌は何でしょう?」 歌に気付いたリー・ジョーダンが解説を中断したおかげで、にも他の生徒たちにもはっきりと歌が聞こえた。 「ウィーズリーは守れない 万に一つも守れない」 その歌詞はグリフィンドールの生徒たちを憤慨させた。 “ウィーズリーこそ我が王者”のフレーズで、はパーキンソンの顔が目に浮かんだ。 「ひどい……」 スリザリン選手もその歌に応えて手を振ったり、指揮したりしている。 はゴールポストのロンを見た。 相当に上がっているらしく、顔色はさっきよりも数倍悪くなったように思えた。 「ローン!頑張って!」 隣でハーマイオニーが拳を前に突き出し、大きな声を上げた。 その後で、スリザリンの観客席の最前列で指揮をするパーキンソンを思い切り罵る声もはっきり聞こえた。 スリザリンのリードにますます歌声は大きくなり、グリフィンドールの観客席はロンのミスにため息をこぼし始めていた。 しかしそんな中でハーマイオニーはずっと声を上げて応援を続けていた。 声が嗄れるんじゃないか、とは心配したが、ハーマイオニーは気に留める様子もない。 聞いていると、ハーマイオニーの歓声の全てにロンの名前が入っていることに気付いた。 「グリフィンドールが負けるはずないわ!」 ハーマイオニーが念じるように言ったとき、アンジェリーナがスリザリンのワリントンを抜いてゴールポストに猛スピードで向かっていた。グリフィンドールの生徒は息を呑む。 「グリフィンドール、ゴール!」 ワァっと歓声が沸いた。 ハーマイオニーはガッツポーズをして、は拍手した。 「四〇対一〇、まだまだ挽回できるわ!いけ、ロン!」 ぴょこぴょことハーマイオニーが跳ねる姿を見て、は可愛いなと思った。 ふとハリーを見ると、箒を急降下させて何かを追っていた。 「ハーマイオニー!」 そう言ってハリーの方を指差すと、ハーマイオニーは 「スニッチを見つけたんだわ!」 と興奮したように叫んだので、スニッチを追うハリーに気付いた周囲の生徒たちは、途端にハリー・コールを始めた。 皆がハリーに注目する中で、はその隣で箒に身を伏せる姿を目で追っていた。 ハリーが右手を前に突き出すと、マルフォイも腕を伸ばした。 「あっ」 思わずは声を出した。 マルフォイの手は虚しく空を掴み、その隣でハリーはスニッチを掴んだ手を掲げていた。 グリフィンドールのスタンドが絶叫する。 ハーマイオニーは涙を浮かべて激しくに抱きついた。 「やった!やったわ!」 歓喜に沸くグリフィンドールスタンドの中で、は自分だけが浮いていないか心配だった。 自分の寮の勝利に素直に喜ぶことができなかったのだ。 すると、今まで聞こえていた歓声が急に非難や怒鳴り声に変わった。 ハーマイオニーとは離れてピッチに目をやると、地面に倒れたハリーがアンジェリーナから引っ張り起こされて痛そうに腰を擦っていた。 「ああ、大丈夫かしら……」 ハーマイオニーが不安そうに言った。 はハリーの背後に着陸したマルフォイを見てその成り行きを心配した言葉だと思ったが、ハーマイオニーの視線は違う方向に向けられている。 彼女の視線の先には、独りでとぼとぼと更衣室に向かうロンの姿があった。 はそんなハーマイオニーをよそに、ハリーとマルフォイに注目した。 フレッドとジョージが顔を怒らせて、今にもマルフォイに殴りかかろうとするのを見て、 「ねえハーマイオニー、ピッチに行ってもいいのかな?」 と慌てて言うと、答えを待たずにスタンド席を立った。 階段を下りていると、ハーマイオニーも後から付いて来た。 上の観客席からは怒号や野次の声がいっそう激しくなった。 二人がピッチに入ると、ハリーがスニッチを握った拳をマルフォイの腹に打ち込む姿が目に飛び込んだ。 ジョージもマルフォイに殴りかかる。 「ハリー!ハリー!ジョージ!やめて!」 の悲鳴が響いた。 それに目を丸くしたハーマイオニーを置いて、は駆け出した。 ハリーやウィーズリーの双子、グリフィンドールやスリザリンの選手が取り巻く中を掻き分け、体を丸めて地面に倒れるマルフォイの元まで来ると足を止めて屈みこんだ。 「マルフォイ君!」 それまでヒンヒンと泣くふりをしていたマルフォイは途端にそれを止めて、驚いたように目の前のを見た。 周囲は、マルフォイの元に一目散に駆けつけては心配そうにするに眉をひそめていた。 「鼻血が、出てるよ……」 はそう言うなり杖を引き出して、マルフォイの鼻血を止めようとした。 しかし、マルフォイはさっと手で鼻を覆った。 「やめろ、」 「手をどけて」 「僕は、お前の助けなんて要らない」 「手をどけてよ!」 はマルフォイの手を無理矢理どけて、杖を当てた。 血止めの癒療魔術なら使い慣れていた。 しかしの杖先から放たれた光がマルフォイのすっと通った鼻を撫でるように包んだとき、は頭がぼうっとした。 青い空、緑の芝生……そしてプラチナ・ブロンドの髪をした少年の後姿が目に浮かんできた。 マルフォイもやわらかなその光がの杖に戻っていくのをじっと見ていた。 そのとき、二人の目が合った。 マルフォイの薄いグレーの瞳が、黒色の瞳をしたを見つめた。 は自分の心臓が止まったような気がした。 周囲の声も何も聞こえない。 ただ、そこにはマルフォイがいる。 ハーマイオニーはマルフォイとが動くことも忘れて、ただ見つめ合っているのを見て思った。 まだ本人はそれに気付いていないかもしれない。 いや、絶対に気付いていないだろう。 はマルフォイに特別な感情を抱いているのだ、と。 (2007.9.8) |