「あ!二回はねたよ!いま、いまみた?」 「おう、見た見た」 夕空に笑い声が響く。夕日の溶けだす川のほとりで、は無邪気に飛び跳ねていた。その隣に座って銀時は小石を握り、今まさに投げんとしているところだった。 ちゃぽん、という音が数回上がり、は川を見据えたまま目を丸くした。 「すごい!ときちゃんの石いっぱいはねた!」 「見た?」 「おう、みたみた!」 水面を走っていった小石に、は興奮したように何度も頷いた。そんな少女に、銀時は「あのなー」とため息まじりに言う。は銀時を見下ろし、首を傾げる。 「おうはマネしなくていいから。お前はなんでもマネするからいけねー」 「だめ?」 「だめなことないけど、ちゃんと自分で考えてからマネしろ」 「なにを?」 「これはマネしていいかなーとか、あ、これはだめだなーとか」 「おうはだめなの?」 「女の子がそんな口きいちゃだめなのー」 「だれがだめって決めたの?」 「……たとえば、もしお前がおやじさんに『おう、ただいま』って言ったら、おやじさんどうする?」 「おこる?」 「うん。たぶん、顔まっかにして怒るな」 「なるほどーおとうさんがだめって決めるのかー」 は納得したように頷くと、銀時の隣に腰を下ろした。 まだは、疑問に思ったことに対して素直な年である。分からなければ自分が理解して納得するまで「なぜ?」を繰り返す。それに対して銀時も小太郎も晋助も、面倒くさいのひと言で片付けずにしっかりと答えてやるのだが、の理解を得るのが一番上手いのは銀時だった。小太郎は小難しいことを言うし、晋助はどこか投げやりな答えしか与えない。しかし銀時はと同じ目線で分かりやすく教えてくれる。心を掴むのがうまいのだ。 「まあ、そういうこと。だからお前は今度から人のマネするとき、お父さんならどう言うかなーって考えてからマネしろ」 「うん。わかった」 「ていうか。全体的に、お前はもっと考えてから行動しろ」 「え?かんがえてるよー」 「じゃあ、今日寺子屋抜けたときは?明日先生に叱られるなーとか考えたか?」 さらりとそう訊いた銀時を、はぎょっとしたような顔で見上げた。 「……どうして知ってるの?」 「さっきヅラがお前に聞いてただろ。今日はちゃんと寺子屋行ったかって。そんときのお前の返事とか、表情で分かった。は嘘つくのヘタだしな」 は途端に肩を落とし、うなだれた。 「わたし、明日しかられるの?」 「多分なー」 「いやだこわい行きたくない」 「ほらな。ちゃんと先のこと考えてたら抜け出したりしないんだよ。考える力が足りないからお前はあのキビしい寺子屋に入れられてんの」 は村の中心部にある、女師匠の寺子屋に入っていた。武家に長年奉公していた女師匠は、手習いはもちろん裁縫や礼儀作法といった女子教育に定評があり、多くの女子がこの寺子屋へ通っていた。しかし厳しさも有名で、は銀時たちに涙まじりに弱音を吐くことがよくあった。寺子屋へ行くふりをして一人で遊び回っていたり、行ったとしても隙を狙って抜け出したりと、はとても真面目な筆子とは言えなかった。 しかし、怒られても怒られても懲りずに繰り返すわりには、叱られることに慣れない。今も、明日叱られるであろう自分の姿や恐ろしい形相の師匠を想像して、半ベソを掻いている。 「……むつかしいよ、先のことかんがえるって。だって、ときちゃんたちはもうおっきいけど、わたしまだ八つだもん」 「二つしか変わんねーだろ」 「うーん」 小さくうなり声を出すと、は膝を抱えたっきり黙り込んでしまった。 銀時はその様子を横目で見ると、息をついた。そうして平たい小石を目で探すとそれを掴み、川へ向かってひゅんと投げた。跳ねる音には思わず顔を上げる。 「それとさ。前から思ってたんだけど、その時ちゃんって呼び方さ」 「いいでしょ?」 すかさず返す。その表情は、先ほどまで意気消沈して涙を浮かべていたとはとても思えないほど嬉々としている。 そんなから逃れるように視線をそらした銀時は、もう一度小石を投げる。今度は二回しか跳ねなかった。 「いや、良いというか……お前しかいねーよ、そんな呼び方すんの。みんな銀時か銀ちゃんとかだから」 「そうだよ、だからいいの。わたしだけが呼んでるから、いいの」 「……でも、女みてーだ」 「いや?」 「……」 「やめてほしい?」 は聞きながらずいずいと体を寄せてきて、今では銀時の腕を掴んで顔を覗き込んでいる。 銀時は夕日に照らされる銀色の髪に触れ、後ろ首を掻く。 「いや、もう慣れた。いいよ、時ちゃんで」 「いいの?」 「うん」 「ありがとう、ときちゃん」 そう言ってが笑うと、銀時もつられて笑った。 「なんだ。ちゃんと考えられるじゃん」 銀時が呟いたが、は聞いていなかった。すでに注意がよそへ向いていた。鳴き声をあげながら飛んでゆくカラスの群れを、口をぽかんと開けたまま見上げている。 「前ね、しんが言ってたの」 「なんて?」 空を仰いだまま、が言う。 「カラスがたくさんで飛んでるときは、みんなで死んだひとの家に向かってるんだって」 なに教えてんだ、あいつ。銀時はそう思った。の年の頃は、生や死に敏感なのだ。 「誰か、死んじゃったのかなあ……。おきぬおばあちゃん、元気かなあ……」 「あのバアさんなら大丈夫だろ。まだまだ居座るぜ、この世に」 銀時が言うと、は少しほっとしたように顔を緩めた。何かと気に掛けては世話を焼いてくれるおきぬ婆は、だけではなく村の子どもたち全員から慕われていた。銀時や小太郎、晋助も同じく。 「じゃあ今日私が食べちゃったムシかなあ……」 「何お前、ムシ食ったの?」 「口に入っちゃったの。で、死んじゃった」 銀時が何も返さなかったので、カラスは自分が殺してしまった虫を弔いに行ったのだと信じ込み、は遠くの空に向かって手を合わせた。 見上げた夕焼けに、銀時はかつて自分の見た地獄絵のような光景を思い起こした。こいつだけにはあんな戦場を見せたくない。隣でいまだに手を合わせているを横目で見て、そう思った。 何気なく後ろの土手を振り返ってみると、銀時はそこに見慣れた人影を見つけた。 「あ、ヅラ」 「ヅラじゃない桂だ!」 呟いた銀時の言葉はどう考えても距離を置いた小太郎に聞こえるはずはないのだが、口の動きで分かったのか、銀時と目が合えば必ず言われるものと思っているのか、小太郎はすかさずそう返した。 「こたろー!」 は立ち上がり、体いっぱいで手を振る。小太郎も手を上げてそれに返すと、こちらへ向かって歩いて来る。 小太郎がそばまで来ると、は駆け寄ってにこにことほほ笑む。 「遊びに来てくれたの?」 「ああ。勉強が終わったからな」 「うれしい!ね、ときちゃん」 そうだな、と銀時が笑うとは大きく頷く。そうして銀時は再び土手のほうへ顔を向けると、目を細めた。 「あ!しーん!」 銀時が言う前に、は声をあげて走って行く。 「なんだよ。結局いつも通りか」 が晋助の元へ着いて飛び跳ねるのを見ながら、銀時は呟く。小太郎は小さく笑った。 晋助が何かを手渡すと、は嬉しそうにまた跳ねた。そうして銀時と小太郎の方に体を向けると、慎重に土手を下り始める。 「見て見てー!しんがチョウチョくれたの!」 は両手を重ね合わせてこちらへ駆けて来る。それを聞くと銀時と小太郎は顔を見合わせて一瞬間を置くと、一緒に笑った。 「何だかんだで、高杉もに甘いんじゃねーか」 「むしろあいつが一番甘い」 の後から歩いて来る晋助は、笑う銀時と小太郎を見ると顔をしかめたが、照れくささまでは隠し切れていなかった。 河原へ着くと、は手の隙間を二人に見せるように体の前に突き出した。 「ね、ほら、きれいでしょー」 「よく見えん」 「ほら…あ!」 小太郎に見せようと隙間を広げた瞬間、中から蝶が飛びだした。白い羽をはためかせて高く高く舞い、四人が口を開けたまま見上げている内に、あっという間に夕焼けに吸い込まれていってしまった。 「あーあ、帰っちゃった……」 がっくりと肩を落としたに、小太郎が「ごめんな」と謝った。「こたろーは悪くない」とはうなだれたまま頭を振る。 「帰るってどこにだよ」 銀時が聞くと、は顔を上げた。 「どこってお家だよ」 さも当たり前のように答えたに、銀時は思わず吹いた。 「チョウに家なんてねーよ」 「あるよ!じゃないと、チョウチョはどこで休むの?休まないと、疲れちゃって飛びつづけらんないよ。ときちゃん、おばかね」 晋助が喉の奥で笑った。むっとした銀時だったが、空を見上げて蝶を思っているらしいの横顔を見ると、晋助に文句を言いたいという衝動はおさまったようだった。 「」と小太郎が声を掛ける。 「今まで何をして遊んでいたんだ?」 「あのね、石投げ!でも人ふえたから、オニごっこがしたいなあ」 「またかよ」 「だってたのしいんだもん」 晋助が言うと、は頬を膨らませた。銀時はそんなの頭に手を置く。 「じゃあ言いだしっぺが最初オニな」 「えー!」 「ちゃんと十数えろよー」 言いながら逃げて行った銀時や小太郎に口をへの字にしただったが、大人しくしゃがみ込んだ。 「いーち、にーい、さーん……」 土手に登っていく銀時と小太郎の後ろ姿を目で追いながら数を数えていたが、途中で止めてしまった。 「しん、逃げないの?」 そばに立ったままの晋助を見上げ、は首を傾げる。晋助は逃げる素振りを全く見せない。袖口に手を突っ込むようにして腕を組んだまま、を見下ろした。 「九つになったらな。お前足おそいし、一秒あれば余裕」 「あ、言ったね!じゃあわたし、しんばっかりねらうから!」 むきになってそう言ったは、再び一から数え出す。気持ちが競っているのかはやく数え終えようとするので、途中途中でつっかえながら。 「きゅーう……十!」 が立ち上がるのと同時に晋助は走りだした。 いつもは不貞腐れたような顔しか見せない晋助だったが、今は十歳の少年らしく無邪気に笑っている。そんな晋助から何十歩も遅れたところで、は懸命に後を追っていた。 「はやっぱりおそいな」 土手の上から、河原で走り回る晋助とを見下ろしていた小太郎は言った。「あいつ……」と呟いた銀時は、次に大きく息を吸った。 「高杉お前てかげんしてやれよ!」 「まってよしーん!」 「ー!おれと銀時もねらえ!つまらんだろう!」 三つの声が重なり合うと、晋助は不意に足を止めた。 「はあ、はあ……しん?」 すっかり息のあがったもすぐ後ろで立ち止まる。晋助は振り返ると、の前に手を差し出した。 「ほら、はやく触れよ。代われ。おれがオニになる」 は首をひねり、目を瞬かせた。晋助の手は真っ直ぐにへと伸ばされている。 「え、じゃあ……たっち」 遠慮がちに差し出された手に触れると晋助は薄く笑んだ。その表情がひどく大人びて見え、は目が離せなかった。 身を翻し、晋助は土手に向かって一直線に走り出す。それまで退屈そうに河原を見下ろしていた銀時や小太郎は、こちら目掛けて走って来る晋助に、思わず目を丸くした。土手を登って来る晋助は小太郎を見据えたまま言う。 「つまんねえんだろ、ヅラ」 そうして登り切ると、途端に逃げ出した小太郎を追う。 「ばかめ!足のはやさでおれに勝てると思っているのか!そしておれは桂だ!ヅラじゃない!」 挑発するように後ろを振り返りながら小太郎が言うと、晋助は舌打ちをしてさらに速度を上げた。 「バカな奴ら」 土手を下りたり登ったりを繰り返しながら一騎打ちを続ける二人から目を離し、銀時は河原のを見やった。 「二人ともはやーい!」 愉快そうに手を叩いて飛び跳ねる。石に足を取られて尻もちをついても泣くことはなく、すぐに立ち上がって小太郎と晋助を目で追う。 が松陽先生の寺子屋へ移りたいと言う日も遠くはないかもしれない。むしろ、あの女師匠から「もう面倒は見きれない」と言われて自然とこちらへ移ってくるかもしれない。はやくこっちに来ればいいのに。銀時はそう思いながら、河原で声をあげて笑うを見ていた。するとが視線に気付き、こちらに目を向けた。 「ときちゃーん!」 両手を大きく振り、歯を見せて笑うに、銀時も手を振り返して笑った。 (2010.5.5) |