- 第四話 御守り -


 近ごろはめっきり陽が短くなってきた。河原のススキは見頃を迎えていて、風がそよぐたびに金色の波が立つ。
 は土手を下り、ススキをかき分けて行く。さわさわ、さわさわ、という音が耳をくすぐる。
 ススキ畑を抜けると、川辺にたたずむ人影があった。水面がきらきらと輝く傍らで、その人の髪も陽光を浴びてまばゆさを放っていた。

「きょうちゃん」

 「滅」という文字が刻まれる黒服を着た杏寿郎は、の声に振り返った。その腰には刀を差している。

「刀が届いたんだ」
「すごいねぇ。炎が付いてる、槇寿郎さんとおそろい?」
「少しだけ形は違うが、まあそうだな」

 鍔の装飾に触れようと手を伸ばしただが、ぴたりと動きを止めて、杏寿郎を見上げる。「触ってもいい?」と尋ねるに、杏寿郎が「もちろん」と答えると、人差し指でつんつんと鍔を突いた。そして縁取るようになぞり、炎を描く。

「もう竹刀じゃないんだね」
「竹刀なんかで鬼の――」

 杏寿郎はそこで言葉を止めた。
 には伝えていなかったのだ。この世に鬼が存在すること、煉獄家が代々鬼狩りの一族だということ。父は夜警ではなく、鬼を滅する鬼殺隊の柱であること、そしてそこに自分も入隊したのだということ。
 の両親はもちろん知っていた。けれど、娘が知ったら杏寿郎の後を追いたがるはずだからと、の母親から口止めをされていたのだった。
 それでも杏寿郎は、自分が決めた道をに伏せたままにはしておきたくないと思った。もしが自分も鬼殺隊に入ると言い出したら、その時は、全力で止めてみせる。

 いつの間にかしゃがみ込み、小石をいじっていたに「」と呼び掛けると、あどけない表情で「ん?」と首を傾げた。

「ちゃんと話せていなかったが、この世には――」
「人ならざるものがいるんだよね。瑠火さんに聞いた」

 さらりと述べられたその言葉に、杏寿郎は目を見開く。

「……いつ?」
「瑠火さんが亡くなる前に、お部屋に呼ばれて」

 言いながら、は小石を川に向かって投げる。ちゃぽん、という水音が、ススキのそよぐ音に消えていく。

「私さ、きょうちゃんのお稽古、いつもそばで見てたから分かってるよ。私は根性なしだし、日が暮れたらすぐ眠くなっちゃうし朝も起きらんないから、キサツタイには入れないって。だから、安心してね」

 そうほほ笑んだの顔には、先ほどまでのあどけなさは影もなくなっている。代わりに、十二の少女とは思えぬほど大人びた表情を浮かべ、川の流れを見つめていた。
 杏寿郎はの隣にしゃがみ、その顔を覗き込むようにして視線を合わせた。そして片手を取り、ぎゅっと握り締める。そんな思いがけない杏寿郎の行動に、は目を丸くした。

、俺は……」

 赤い瞳に吸い込まれそうだと、は思った。杏寿郎は何かを言おうとしているが、ためらっているのか、唇は微かに動いているが声が出ていない。

「どうしたの? きょうちゃん?」

 そのとき、鴉のけたたましい鳴き声が頭上で響いた。鴉は鳴き続けながら旋回し、そうして杏寿郎の肩に乗る。は口をぽかんと開け、杏寿郎の耳元でカァカァと鳴く鴉を見つめている。
 杏寿郎はの手を離し、すっと立ち上がった。踏みしめられた小石が鳴る。

「すまん。俺はこれから初任務だ」

 そう言って、杏寿郎は踵を返す。は立ち上がり、そんな背中に声を掛ける。

「きょうちゃんが守ってくれるんだよね」

 さあっと風が吹き、川の水面やススキ畑にゆるやかな波が立つ。
 杏寿郎は振り向き、

「守る」

 力強くそう言った。
 はその言葉を噛み締めるように唇をきゅっと結んだ後、少しの間を空け、続ける。

「じゃあ、きょうちゃんのことは誰が守るの?」

 杏寿郎は眉根を寄せる。誰に守ってもらうのかなんて、考えたこともなかったのだ。

「なっ……!」

 考え込んでいた杏寿郎は、不意に鼻へ押し当てられたの人差し指にたじろぐ。

「守るよ」
「……!」
「なあに、その目。目玉がこぼれ落ちちゃいそう」
「守るって、が俺を?」
「うん! あ、私のこと弱いって思ってるんだったら心外だよー?」

 ぐりぐりと鼻を押し続けるだったが、杏寿郎が一切抵抗しなくなったのを見て、そっと指を離した。
 そうして、

「はい、これ。御守りだと思って持ってて」

と、丸めんこを差し出した。杏寿郎はそれを受け取る。
 それはいつかの日、杏寿郎があげた、白い犬のめんこだった。

「私はこれを持ってるから」

 が持つのは、かつて杏寿郎に似ていると言って笑った、目がぎょろっとした武士が描かれためんこ。

「刀は持たないし、何の取り柄もない鈍くさ女かもしれないけど。それでも守る、きょうちゃんを守る」

 はまっすぐに杏寿郎だけを見つめていた。揺るぎない瞳だった。
 杏寿郎はに一歩近づき、その頭に手をぽんっと乗せる。腕の向こうに見える、頬を緩め、目を細める杏寿郎の姿に、は顔が熱くなるのを感じた。

「ありがとう」

 鴉がひと鳴きすると、杏寿郎はから手を離し、おもむろに踵を返して河原を離れていく。

「きょうちゃん、またね!」

 再び足を止めた杏寿郎は、そんなの言葉に、ぐっと唇を噛む。
 振り返ると、力強くうなずき、手を大きく振った。そうして杏寿郎は、ススキの中へと消えて行く。