ときめいたら負け無し




 モテ期は一生のうち三度訪れるというけれど、私は二十数年間生きてきて一度もモテた試しがない。一応言い訳をすると、小中高一貫の女子校に通っていたから、異性と交流する機会が乏しかった。高校入学前に呪術高専にスカウトされて、人生初の共学デビューをしたわけだけど、同級生は自分を含めてたった四人。うち男子は二人。まともな人間はゼロ。普通の学校ではないのだ。授業の一環として、命をかけた呪霊祓いをさせられる。愛だの恋だの言う前に、明日の自分を生かすことに必死だった。
 出会いがない、という言い訳をしながらついに二十代も半ばに差し掛かったとき、窓の女性に合コンなるものに誘われた。

「やめとけば? 年増女が意気揚々と誘いに乗ってんじゃねーよ、って裏で笑われるよきっと」

 これは、私が合コンに誘われていることを知った五条悟の言葉だ。それも、談話室のベンチに座ってかりんとう饅頭を食べながら、こちらに顔を向けることもなく言い放った。

「五条にはさ」
「うん」
「モテ期ってあった?」
「え? あったというか、生まれてから今までずっとモテ期だけど?」

 「このルックスと才能と財力だし」と要らぬ一言まで付け加えながら、今度は緑茶のペットボトルに手を伸ばす。

「でも、五条が女の子といるとこ見たことないよ」

 振り返ってみればそうだった。確かに高専時代も、行く先々で連絡先を貰うだのなんだの自慢っぽく話していたけれど、恋人がいる気配はなかった。
 五条はペットボトルのキャップを弄びながら、口角をゆるりと上げた。

「そういうの、人には見せない主義だから。お前もまだまだ僕のこと理解できてないねえ」
「……あっそ。別に理解しようともしてないからお構いなく」
「わー冷たーい。だからモテないんじゃない?」
「うっるさぁ」

 学生時代から、五条とはこうやってヤイヤイ言い合ってきた。あの頃は掴み合いのケンカに発展する前に止めてくれる人がいたけれど、今はもういない。だから、最後は大体どちらかが不貞腐れて終わる。歳を重ねるにつれて、ケンカになることもめっきり減ったけれど。
 五条には、私をストレス発散の捌け口にしている節がある。談話室で一息入れていると、決まって五条がふらりと現れ、一人分のお菓子を私に見せつけるかのように食べながら、ぺちゃくちゃと喋りかけてくる。
 でもこの時間は、別に苦痛じゃない。五条は腹立つようなことを言ってくることもあるけれど、面白い話をして笑わせてくれることもある。役に立つ情報をくれることも。「ねえ聞いてよ」と無邪気に話す五条を見るのが、存外嫌いじゃなかった。

「そういえばこの後だっけ、サッカースタジアムの呪霊」
「あーそうそう。明後日からなんちゃらリーグが開幕とかで、その前に祓ってほしいんだって」
「急かすよねえ。僕も同行できればよかったんだけど、別件でさ」
「いいよ全然。特級術師が出てくるような任務じゃないし。ていうか五条が来たらスタジアム壊れちゃう」
「そのぐらい加減できるって」
「いやすぐ壊すじゃん。覚えてる? 昔さ、岩手の大きなお寺で国宝の仏像――」
「すーぐ過去のこと掘り返す女はモテないよー?」

 都合が悪くなると、五条は口を少し尖らせながら上を向く。子どもか、とため息を吐いていると、補助監督が私を呼びに来た。すると五条は、私を追い払うようにシッシと手を振った。

「祈っといてあげるよ。サッカー選手に気に入られますようにーって」
「そうだねありがと。そしたら私も晴れてセレブ妻の仲間入りだし、呪術界も寿引退できるしで超ハッピーだわ」
「えー驚いた。たかがサッカー選手と結婚するぐらいでセレブになれるって思っちゃうんだ。おめでたいねえ」

 五条は馬鹿にするかのようにヘッと短く笑った。私もフンッと鼻を鳴らしつつ、少しおかしくて口元を緩めた。


◇◇◇


「どうしよう硝子。私、モテてる」

 どうやら、五条の祈りが天に届いたらしい。
 サッカースタジアムに出るという呪霊を祓ったあの日、一人のサッカー選手に気に入られてしまった。
 誰もいない深夜のスタジアムの観客席で呪霊を追いかけている内に、体の至る所を座席にぶつけてしまったようで、祓った後は全身アザだらけだった。おまけに、迎えに来るはずの補助監督は急用ができたとのことで、私は一人で帰宅するはめになった。スタジアムを出たところで膝の痛みにうずくまっていると、「どうかしたんですか」と声を掛けられた。浅黒い肌に白い歯、緩やかにウェーブがかったトップに側面刈り上げの今時なヘアスタイル、長身で、服を着ていても分かるほど鍛えられた肉体。異性慣れしていない私がまごついていると、男性は私の膝のアザを見て、提げていたバッグから何やら取り出してテキパキと処置してくれた。お礼を伝えると、「その足だと歩きづらいでしょう。家まで送りますよ」と言って車に乗せてくれた。高そうな車だった。車中での会話で、男性がプロのサッカー選手であることが分かった。言われてみれば確かに、テレビで見かけたことがある顔だった。別れ際に連絡先を聞かれたので教えると、その夜以降、頻繁に連絡が来るようになった。

「この話、五条は知ってるのか?」
「知るわけないじゃん。どうせ冷やかされるだけだし」

 高専にある硝子の仕事部屋に押しかけて一連の話をすると、彼女はタバコを咥えながら「ふうん」と喉を鳴らした。昔からそうだけれど、硝子は身近な人の色恋話には興味がない。でも著名人のゴシップは嫌いじゃないようで、週刊誌の電子版を購読している。
 私はスマホ画面を硝子に見せながら、強引に話を続ける。

「今夜食事に誘われてるんだけど、服ってこれで大丈夫かな」

 ネットで買ったワインレッドのワンピース。家で試着したときの写真を見せると、硝子は首をパキッと鳴らしながら言う。

「胸開きすぎじゃないか? 今着てるそれでいいじゃん」
「いや、こんな全身真っ黒じゃ葬式帰りかって思われるでしょ。でもそっか、胸が開きすぎか。じゃあどれがいいかな」

 他にも買っておいた服の写真を見せていると、ガラッと部屋のドアが開いた。

「やーっぱりここにいた」

 片手に紙袋を提げた五条が、おそらく私の方を見ながら言った。彼はいつもアイマスクをしているので、視線の先は定かではない。
 近づいてきた五条が「なんの話ー?」とスマホを覗こうとしてくるので、私は避けるように立ち上がって、

「じゃ! 準備があるしもう行くわ」
「準備? なんの?」
「硝子、五条には言わないでね」
「報酬は」
「今日行くお店でなんか持ち帰ってくる。ワインとか」
「了解。気をつけてな」
「今日行く店って何?」

 私と硝子は、五条を間に挟みながら親指を立て合う。そうして私は、自分の質問をまるで無視されて半ば苛立っている五条を一瞥し、

「私にモテ期が来ました」

とだけ言うと、硝子の部屋を意気揚々と後にした。


◇◇◇


「一般女性Aって言われるのってどういう気持ち?」

 数日後、硝子は私にスマホ画面を見せながら、すこぶる楽しそうに聞いてきた。
 あの夜、私はサッカー選手と三つ星レストランでディナーをした後、ほろ酔い気分で店を出た。夜風が気持ちいいですね、なんて言って歩いていると、不意に腰に腕を回された。さっきまで笑い合っていた男性の目が、ぎらぎらと光っているように見えて、なんだか怖くなった。捕食される獲物の気持ちだ。とっさに離れようとしたけれど、彼の力は強かった。でも私は普通の女じゃないので、体をどう動かせばこの腕を振り払えるか知っている。ひゅるりと体を捻って腕の中から抜け出した私に、彼は目を丸くしていた。
 そんな夜道での私たちを、週刊誌の記者が捉えていたようだった。

「なんか、こそばゆい気持ちですね。束の間有名人になったような」
「何が有名人だ。こんなんじゃ誰が誰だか分からないよ」

 週刊誌にはサッカー選手の名前とともにデカデカと「熱愛」の文字が躍り、その記事の中で私は「一般女性A」と記され、写真の目元には黒い線が入っていた。ちなみに服は、胸が開きすぎだと硝子に指摘されたワインレッドのワンピースに黒のロングコート。掲載されていた写真は白黒だったので、ワインレッドの色は消え、結局お葬式帰りの人のような見え方になっていた。実際の葬儀に胸の開いた服を着ていけば顰蹙ものだけど。

「で、どうだった?」
「あーそれがさ、なんかやっぱちょっと違うかなって。目が怖かった」
「目?」
「うん。ギラついててさ。性欲丸出しって感じで」

 ハハッ、と笑った硝子に、もっといろんな話を聞いてもらおうと身を乗り出したとき。バァンという音とともに部屋のドアが開かれた。

「どういうことだよこれ」

 アイマスクを下げた五条が早足でこちらに近づいてくると、スマホの画面を突き出して言った。その画面には、つい今しがた硝子と話していた週刊誌の記事が映し出されていた。

「うそ。五条も購読者だったの?」
「知らなかった? 五条の方が購読歴長いんだよ。ゴシップ好きだもんコイツ」
「今そういうのいいから!」

 五条は私と硝子のやりとりを一蹴し、「おい」と私に向けて声を荒げる。

「これお前だろ?」
「よく分かったね。一般女性Aだし目元に黒い線入ってるのに」
「分かるに決まってんだろ舐めやがって」
「なんか懐かしいね、五条のこの荒っぽい感じ。高専時代みたい」
「茶化すなよ。本当にサッカー選手とデキてんの?」
「どうなの硝子先生。これってデキてるって言うの?」
「私を巻き込むな。というか五条、ドア壊れたから弁償しろよ」

 五条は硝子の言葉がまるで聞こえないように、私の鼻先にスマホを突きつけたまま続ける。

「この男ヤリチンで有名だぞ。どうせ本気じゃないって、お前みたいな顔も胸も平均ど真ん中のトウが立ちまくった女」
「……ねえ、術式解いて。一回殴らせて」
「お前も見る目なさすぎじゃない? 自分が泣きを見るの分かんない?」
「ていうかさ、なんで五条は怒ってるの?」

 それまで捲し立てるように言葉を吐いていた五条は、ぴたりと動きを止め、問いかけた私ではなく硝子に向けて言った。

「なんで怒ってんだろ?」
「だから私を巻き込むなって」

 やれやれ、というふうに息を吐いた硝子は「仕事の邪魔だから帰れ」と言った。本気のトーンだ。これは言うことを聞かないと後が怖いと知っている私たちは、言われるがままに硝子の仕事部屋を出た。そうして、互いに目を合わせる。

「ねえ、五条はなんで怒ってるの?」
「分かんない」
「もしかして、私のこと好きなの?」
「……えっ?」

 そう言ったきり、五条は考え込んでしまった。真面目な顔をして思案しているようだったので、「冗談だよ。五条が私のこと好きになるなんてあり得ないじゃん」なんて茶化す言葉もかけられなかった。
 五条は次第に眉根をぴくぴくと動かし始めると、唐突に「お前さ」と口を開く。

「あの服は胸開きすぎだって。無い胸が見えて相手に迷惑でしょ」
「もういいから」
「ていうか似合ってないよ。安っぽいし」
「あーうるっさぁ」

 その後も散々ダメ出しを続けたのち、五条は用事があるからと言って去って行った。

 確かに、初めて男性に言い寄られて気持ちが浮ついたのは間違いない。でも本能的にこの人は違うな、と思ったのだ。それでもう会わないつもりだった。けれどこうやってスクープされたからには、私は「熱愛を噂される一般女性A」として彼と付き合っていかなくてはいけないのだろうか。相手もいい迷惑だろうな。
 悩んだ挙句、男性に連絡をしてみた。週刊誌を見たのだけど今後どうしましょう、という内容のメッセージには既読が付いたまま返ってこず、電話をかけても出なかった。


◇◇◇


「だから見る目ないって言ったじゃん」

 ある日、談話室にいる私の前に現れた五条が、スマホを突きつけながら言った。そこには、あのサッカー選手の週刊誌記事が。写真は複数枚あり、そのどれもが違う女性とのものだった。さらには、妻とされる女性の姿も。「不倫」の文字とともに、一般女性BやCの「既婚者だったなんて知らなかった」というような怒りのコメントも添えられていた。

「ショック?」
「……別に。なんか危なそうな人だったし。それに一回食事に行っただけで、何も始まってない相手だったし」

 五条は少し目を開くと、「へえ」と言った。
 そうしてベンチに座る私の隣に腰を下ろし、ポケットからおもむろに小箱を取り出した。

「……どうしたの?」
「いや、落ち込んでるんだったらと思って用意したんだけどさ。元気そうなら別に必要ないか」

 白い小箱には有名ジュエリーブランドのロゴが刻まれている。じっと見つめていると、五条は息を漏らすように笑った。

「お前の寂しい胸元にはちょうどいいでしょ」

 そう言うと、私の膝の上に小箱を乗せる。

「えっ、いいよ、なんか怖い。箱見ただけで高い物が入ってるって分かるもん」
「いいから。とりあえず開けてみてよ」

 ほら早く、と急かされて、おそるおそる箱を開ける。そこには、四葉のクローバーの形をしたネックレスが入っていた。ホワイトゴールドのチェーンに、クローバーの部分はホワイトパールでできている。

「……いや、受け取れないよ。こんな上等なもの貰えるようなことしてない」
「大袈裟。そんな大したものじゃないよ」
「五条にとっては大したものじゃなくても、一般人からしたら大したものなのこれは」
「一般女性Aからしたら?」

 茶化すように言う五条に、私は半ばムキになって箱を押し戻す。

「こういうときに喜ばない女はモテないよー?」
「いいよもう別にモテなくて」
「……ま、そんなお前だから面白いんだけどさ」
「オモシロ人間扱いしないでよ。あーもう、いきなりお高いジュエリーなんて出してくるからびっくりして喉乾いちゃったじゃん。なんか飲む?」

 立ち上がって自販機に小銭を入れていると、不意に首元がひやりとした。驚いて息を漏らすと、

「ほら。やっぱり似合う」

 耳元で響く五条の声に、不覚にも胸が高鳴ってしまった。いつも聞いている声なのに、距離が違うとここまで聞こえ方が変わるのか。
 胸元ではパールの四葉が白く輝く。私の首にネックレスを付けた五条が、背後から覗き込みながら満足げに笑んでいる。

「……あの、さ。こういうの良くないよ?」
「なんで?」
「五条は知らないかもだけど、男性がネックレスを贈るのって意味があるらしいんだよ」

 恋愛経験はないけれど、恋愛に関する知識を集めるのは好きだった。というか、夢見ていた。いつ死ぬかも分からないこの世界で、誰かと寄り添う未来が、ほんの一瞬でもあればいいなと願ってた。

「“離したくない”」

 五条の唇が紡いだ言葉に、私は再び息を漏らす。

「当然知ってるけど? 舐めすぎでしょ僕のこと」

 五条は私の首に下がるネックレスのチェーンを触りながら言う。触るというより、首の肉に埋めるように押し込みながら、と表現した方が正しいかもしれない。なんだか首輪を付けられたような気になって、少しだけぞくりとした。

 後日硝子から聞いた話によると、私がサッカー選手とデキていると誤解して「僕はどうしたらいい」と騒ぐ五条に、「とりあえずネックレスでも渡しとけ」と助言したらしい。おそらくそこでネックレスを贈ることの意味を知ったんだろう。
 自分だって恋愛初心者のくせに、余裕ぶっちゃってなんなの。すぐマウント取ろうとしてくるから五条悟って。でも、そういう五条も存外嫌いじゃないから、だから困ってる。
 今日も彼は私の隣で「ねえ聞いて」と無邪気にぺちゃくちゃと喋っている。それをウンウンと聞く私の胸にはホワイトパールの四葉が静かに光っていて、彼は時折り手を伸ばしてきて首元のチェーンに触れながら、とても満足そうに笑ってる。




(2024.05.03)

サッカー選手の不倫と複数交際ネタを週刊誌に垂れ込んだのは五条でした(いろんな人脈と力を使って)

*ゆきのさんからのリクエスト
「ずっと同期だと思っていたのに、ふとしたときに夢主への独占欲を自覚し、不器用ながらも最終的には結ばれるお話」
ありがとうございました!



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