「五条さんって彼女いるんですかね」
春から入職した新人補助監督の女の子が発したその一言に、私は食べかけのフィナンシェを落としそうになった。
補助監督は、簡単に言うと呪術師のマネージャー兼高専事務員のようなもので、管理能力だけ長けていても事務処理能力が低ければ仕事は終わらないし、その逆もまた然りだし、なんなら両方の能力を備えていたって業務量が減るわけではない。こなせる分だけ何かしらの仕事を押し付けられる。伊地知さんが良い例だ。つまり、補助監督とは限りなく漆黒に近いブラック職。この呪術界においてワークライフバランスという言葉は存在しないので、ひとりの人間として人生の豊かさを求めるのであれば、仕事に心身を殺されないうちに一般社会へ逃げた方がいいと思う。と七海さんに話したら、「一般社会もクソですよ」と言われた。
呪術界にも一般社会にも身の置き所がないように思えて悶々としている私に、五条さんは言う。
『いい加減諦めて僕んとこおいでよ』
――と。そう、仕事に忙殺される気配を感じながら日々馬車馬のように働く私は、この労働環境を生み出す一因ともなっている呪術界の要、五条家の当主であり、ウン百年ぶりの六眼と無下限呪術の抱き合わせという奇跡の子、五条悟と付き合っているのだ。
五条さんの言う「いい加減諦めて」とは、死なないように踏ん張りながらがむしゃらに働くことを諦めろ、という意味なのだろう。側から見ていて、私のしゃかりきっぷりは痛々しいのかもしれない。
ちなみに「僕んとこおいでよ」の意味は深掘りしていない。なぜかと言うと、私は未だに自分が五条さんの彼女であるということを信じていないからだ。他に女がいるのでは、と疑っているわけではない。ただ単に、あんな凄い人の恋人だという事実を受け入れきれていないんだと思う。
だから、この交際のことは周りにも伏せている。五条さんにも「仕事がしづらくなるといけないから」と公言しないようお願いしている。「あっそ。りょーかい」とあっさり承諾してくれたから、やっぱり五条さんにとっても自分に彼女がいると周知しない方が動きやすいんだろうなと思った。
「ねえ先輩、聞いてます?」
「……え? あ、ごめんなんだっけ」
「もー。ですから、五条さんって彼女いるんですかねーって話です」
新人という存在が苦手だ。怖いものなど何もない、できないことなど何もない。そんな目をしているから。恐ろしいことも理不尽なことも嫌というほど経験してきた側の人間にとっては、眩しすぎるのだ。
だからできるだけ新人補助監督とは接しないよう距離を置いてきたつもりだけれど、この子は私が張ったつもりの分厚い壁をひょいと乗り越えてくる図太さを持っているようで、補助監督室で顔を合わせれば「せんぱーい」と人懐っこい声で駆け寄ってくる。
「さあ、どうなんだろうね」
「伊地知さんなら知ってますかねえ」
「……そんなに気になるの?」
「えー気になりますよ。だって五条悟ですよ? あの人が選ぶのってどういう相手なのかなあって。それに……」
新人ちゃんは少し伏し目がちになり、体を左右に揺らしながら言った。
「この間、五条さんの送迎を初めて担当したんですけど、その時にすごく優しくしてくださって……なんか、私でもワンチャンあるかもなあって。だから一応、彼女の有無は知っておきたいなあって」
彼女の紡ぐ言葉が私の右の耳から入って、左耳から抜ける前に脳内で混乱を生み出した。
優しくしてもらった? ワンチャンあるかも? 彼女の有無を“一応”知っておきたい? ……え、すごい。この子の感受性は私のものとはまるっきり異なる。
私の場合、補助監督になって五条さんから優しくしてもらった記憶はない。コンビニで買った新作スイーツを「間違って買っちゃったから代わりに食べて」と押し付けられることは珍しくなかったが、私はそこまで甘党でもないし断ることもできないしなんなら食後の感想を求められることもあるので正直苦痛だった。「この後どっかで食べて帰らない?」と提案されても、何か説教されるのではないかと警戒していたし奢られるのも居心地が悪いのでやんわりと断っていた。普通なら「食事に誘われたらワンチャンある」と思うものなのだろうか? ていうかワンチャンってどういう意味なんだっけ?
そして、「彼女の有無を一応知っておきたい」という「一応」の部分には、恋人がいてもいなくても大した障害ではないという新人ちゃんの図太さが透けて見える。
コンビニスイーツの話も食事に誘われた話も、全部付き合う前のエピソードだけれど、付き合ってからも世に言う恋人同士のようなイチャイチャラブラブな雰囲気でもないので、今も昔も五条さんと私の間の温度感は大して変わっていないはず。……あれ? こんな可愛げのないエピソードしか思い浮かばないんだけど、なんで五条さんって私と付き合おうと思ったんだろう?
「先輩? なんか目がぐるぐるしてますけど、大丈夫ですか?」
「……あっ、うん、平気。いきなり頭の中が忙しくなっちゃって」
「えーかわいい。先輩いつも頑張りすぎですもん。それ以上頭使っちゃダメですよ〜」
先輩にかわいいって言えちゃうのすごい。そして頭を使うきっかけになったのは君だよ。……なんて言葉を呑み込み、へへ、と笑って見せる。そうして、書きかけの報告書に目を落とす。もうこの話は終わりにしたい、という私なりのアピールだったけれど、新人ちゃんは椅子ごと私の方へグイと寄ってきた。
「ねえ先輩」
「んー?」
「どうしたら五条さんに目をかけてもらえると思います?」
眩しい。濁りのない目でまっすぐにそう訊かれたものだから、思わず息が止まりそうになった。
「目をかけてもらう」とは、つまり、異性として意識してもらうには、という意味だろう。五条さんにとって私が本当の彼女なのかどうか確信は持てないけれど、でも一応付き合っているのだから、ここで真剣にアドバイスするのも違うのかな。……というか、私の場合はどうだったんだろう。五条さんはどうして私に「付き合おっか」なんて言ったんだろう。
「仕事を必死にやってたら……認めてくれるんじゃない、かな?」
自分のことを重ね合わせながら伝えたら、結局、真剣なアドバイスになってしまった。でもそれ以外に五条さんが私を認めてくれたポイントが思いつかない。
他に何かあったかな、と考えを巡らせていると「えー?」という不服そうな声が耳を突いた。
「なんか、必死に頑張るのってダサくないですか? あ、別に先輩のことを言ってるわけじゃないですよ? でも私は、がむしゃらな姿ってあんまり見せたくないし、見たくもないんですよね。余裕でこなすのがカッコいいなあって。それって五条さんの魅力にも通じますよねー。あの人、どんな任務でも余裕で捌いてるじゃないですかぁ」
その後も彼女なりの五条悟の魅力なるものを聞かされたけれど、私の耳は水が詰まったかのようにその声をシャットアウトしたので、何を話していたのかは分からない。まるで恋する乙女のように頬を赤らめながら楽しそうに話す彼女の姿に、この年代の子たちにとって五条悟は雲の上の存在でもないんだろうな、と思った。
私はずっと思ってた。五条さんは、憧れを超えた存在だった。手を伸ばしても届かない人なのだと。それは恋愛的な意味だけに留まらなくて。同じ空間にいることすら叶わない人。その隣に肩を並べ立つことを許される者はいない。だって五条悟という人は、呪術界の要、五条家の当主であり、ウン百年ぶりの六眼と無下限呪術の抱き合わせという奇跡の子なのだから。付き合い始めたからといって、彼の全てが手に入ったとは微塵も思っていないし、対等の立場になれただなんておこがましいことを思うはずもない。
「あっ、五条さん!」
甘くて丸い声を発した新人ちゃんに、私は肩をびくりと上げた。そうして彼女が駆けて行った方をゆっくりと振り返る。――五条さんだ。
「おつかれサマンサー。どう? 過重労働してる?」
五条さんは目の前の新人ちゃんがまるで見えていないのか、私の方へ顔を向けて手を振った。五条さんが補助監督室の出入り口を立ち塞いでいるせいで、すぐ後ろにいる伊地知さんが中へ入れずに眉を垂らしている。
「五条さんはもう今日の任務終了ですよね? もしよかったら一緒にごはん行きませんか?」
五条さんはその声でようやく彼女の存在に気づいたというふうに、目の前でぱたぱたと子犬のように尻尾を振る新人ちゃんを見おろした。
「伊地知」
「は、はいっ」
「この後の僕の予定ってどうなってんだっけ」
伊地知さんは頭上にクエスチョンマークを浮かばせたが、「ねえ」と催促され、慌てて黒手帳をめくり始めた。
五条さんの今日の任務はこれで終了なはず。何か上層部絡みの案件でも入ったのかな。というか新人ちゃん、あなたまだ明日の会議資料の作成終わってないでしょう。……ん? あれ、五条さん? 予定が何もなければ新人ちゃんとごはんに行くつもりだったり……する?
「何も入ってなければいいなあ」
新人ちゃんは手帳を確認する伊地知さんの方へと顔を覗かせながら、体を小刻みに揺らす。なんだかもう見ていられなくて、私は新人ちゃんの代わりに会議資料でも準備してやり過ごそうとノートパソコンを開く。
「ええっと、この後は特に――」
「あ、ごっめーん伊地知。あるわ予定。でもそれってお前が知りようないんだった。なんたってプライベートな予定だからねぇ」
ちらりと目をやってみると、伊地知さんは口をぽかんと開けているし、新人ちゃんは誘いを断られたことに気づいてないのか、交わる気配のない視線を熱心に五条さんに送り続けているし、五条さんはさっきから新人ちゃんと直接会話することなく伊地知さんを通してやりとりしている。
「んじゃ伊地知、明日僕オフだから連絡しないでね。よろしくー」
五条さんは伊地知さんに向けてひらひらと後ろ手を振り、大股で室内へと入ってきた。その足先はまっすぐにこちらへ向かっている。そのことに気づいた途端、私は視線を逸らしてパソコンに集中しているフリをした。
「なーに知らんぷりしてんの」
大きな手のひらによって、ぱたん、とパソコンを閉じられてしまった。
「彼氏が若い女に絡まれてんのに、余裕だねえ」
耳元でそう囁かれ、思わず声が漏れそうになるのを唇を噛み締めることでなんとか堪えた。五条さんはデスクに腰をもたれると、腕組みをした状態で私を見おろした。
「もしかして忘れてる?」
「……へ」
「あーこれだから年中無休のしゃかりき娘は〜。この僕との食事の予定すっかり忘れちゃうんだから」
わざとらしく声を張るので、私は慌てて「五条さんっ」と声を潜めつつ表情で訴えかける。恐る恐る目線を流してみれば、新人ちゃんは「食事? 先輩と五条さんが?」と訝しげに目を細めていた。
「いや、これはその……」
「食事ぐらい行くでしょ。だって僕たちものすっごい仲良いからね。ねー?」
アイマスク越しでも笑っていることが分かるほどだった。私は思わず立ち上がり、愉快そうな五条さんに耳打ちする。
「ちょ、っと…! 公言しないって――」
「してないじゃん。今だって、“デート”じゃなくて“食事”っつってんだし」
「でも……ていうか食事の約束なんてしてないです!」
「えーそうだっけ?」
のらりくらりとかわされてしまって、二の句が継げない。五条さんは私のバッグとジャケットを手に取り、向かいの席でこの状況を伺い見つつ事務仕事を始めた伊地知さんに言う。
「伊地知ー、このしゃかりき娘、今日はもう帰っていいよね?」
「あ、えっと……今日中の仕事が終わっていればもちろん、はい」
「どうせもうとっくに終わらせてんでしょ?」
「いや私、まだ明日の会議資料の準備が――」
「それって君の仕事なの? そういうのって若手がやるんじゃないの? 全部一人で抱え込みすぎじゃない? おい伊地知、業務の割り振りどうなってんだよ」
すみません、と頭を下げる伊地知さんに、私は心の中で「伊地知さんは何も悪くないのに」と叫んだ。最初から伊地知さんは新人ちゃんに資料作成を頼んでいて、彼女がそのことをすっかり忘れているみたいだから、私が勝手に代理でやっておこうと思ってただけで……。
伊地知さんは新人ちゃんに声を掛け、改めて資料の作成を依頼した。
「もうやることないみたいだね。んじゃほら、行くよー」
そのまま五条さんに手首を掴まれ、くいっと引かれるままに補助監督室を後にした。新人ちゃんのじっとりした視線がきつかった。
***
「……絶対バレた」
「えーそうかなあ」
「あんなのバレないわけないじゃないですか! ねえもう、笑い事じゃないですよ!」
私が運転する車の助手席で、五条さんは喉をくつくつと鳴らす。
「ていうかもうよくない? このまま伏せてると今日みたいな面倒事ばっか起こるんだし」
「……ああいうお誘いってよくあるんですか?」
「僕を誰だと思ってんの?」
ああ、そうなんだ。みんながみんな「相手は五条悟だから自分にチャンスなんてないよな」と思うとは限らないんだ。行動しなければ何も起こらないけど、ちょっとでもアクションを起こせば可能性はゼロじゃないもんね。あ、それが「ワンチャンある」っていうのかな。
「それにしても、あからさまに冷たかったですよね」
「あの子に対して? そりゃそうでしょ。君の前で他の女と親しげに喋るなんてことしないよ。いや、君がいてもいなくても仕事以外の話は極力しないようにしてるんだけどさ」
「……でも彼女、言ってましたよ。五条さんに優しくしてもらった、ワンチャンあるかも、って」
「わーすっごいポジティブな子なんだね。今日天気いいですね、って言われて、そうだねって返したぐらいじゃない? そんだけのやりとりでワンチャンあるって思わせるなんて、僕も罪な男だよねえ」
五条さんは少し面倒くさそうに言うと、窓の外を見やった。その隣で、私は赤信号が青に変わるのをじっと待つ。沈黙が気まずい。
五条さんは、この関係を公言しようと暗に言っている。その提案に対してどう返したらいいのか、自分はどうしたいのか、答えが見つからずにいた。その原因は、分かってる。五条さんみたいな全てを持ち得ている人が、どうして私なんかを選んだのか、分からないからだ。
「五条さんはどうして――やっぱり……なんでもない、です」
言葉を引っ込めた私に、五条さんは横目を流しながら「なにそれ」と言った。
「そこまで言いかけといて“なんでもない”はナーシー」
言いながら人差し指で頬をぶすぶすと刺してくるので、信号が青に変わってアクセルを踏み込んだ私は「やめてください」と抵抗した。けれど五条さんは指で突くのをやめる気配がない。私が飲み込んだ言葉を吐くまで続ける気だ。
「どうして……私みたいな凡人と付き合おうだなんて思ったんですか?」
ついに根負けして、ぽつりとこぼす。
五条さんの顔を見るのが怖くて、私はただまっすぐに顔を向けたまま運転を続ける。ちなみに行き先の指定はない。食事というのもあの場をやり過ごすための嘘だったらしい。なので、今は適当に街中を走っている。
「あのさあ、線引きすんのやめてくんない?」
いつもより低い声に、背筋がひやっとした。ゆっくりと五条さんの方へ横目を向けると、五条さんは窓の外を見ていた。
「自分は凡人で、五条さんは特別で、とかさ。僕も君とおんなじ人間なんだよ。ちょっと最強なだけで」
声を出すのも許されないような張り詰めた空気に、私はこくりと頷くことしかできなかった。
「前に言ったこと覚えてる? いい加減諦めて僕んとこおいでよ、って」
不意にこちらへ顔を向けた五条さんに、私は「はい」と掠れ声で返す。
「あの言葉の意味ちゃんと理解してる?」
「えっと……」
「仕事を言い訳にして僕から距離を取ろうとするのを諦めろ、って意味で言ったんだよね」
「……はあ」
「最近やっと分かった。君が僕と距離を取りたがる根本的な原因は、そうやって線引きしてるからなんだなって。ちょっとその辺りで停まって」
交通量の少ない道路に入った。言われた通りに停車させると、五条さんはシートベルトを外し、体ごとこちらに向いた。そうして、アイマスクをくいっと引き下げる。
「お前さあ、卑下しすぎなの。自分のことなんだと思ってんの? というかまず、僕のことなんだと思ってんのって話」
あ、ちょっと怒ってる。というより、苛立っている。眉根を寄せ、口角を下げているその顔を直視できず、私は腿の上で握り合わせた両手に目を落とす。
「五条さんは……決して手の届かない人」
ぼそりと呟くと、五条さんはため息を吐いた。
ああもう完全に呆れられた、と諦めていると、
「手伸ばしてみて」
と、予想外に柔らかな声が落ちてきた。顔を上げてみると、五条さんの口元は心なしか緩んでいるように見えた。
五条さんの言う通りに手を伸ばしてみる。五条さんはその手を掴んで、自分の頬にあてがった。
「ほら、届いてるでしょ」
五条さんのぬくもりが、手のひらからじんわりと溶け込んでくる。
「僕に触れる人間なんてそうそういないんだから。その中でも君は特別」
「特別?」
「あったり前じゃん。だってー、あんなとこもこんなとこも触らせてるでしょ?」
途端、ぶわっと顔から火が出そうになった。五条さんとそういう行為をしたのはまだ片手に収まるぐらいだけれど、一回一回が濃密で、脳が痺れるほどに刺激的で……。私はあの時間を思い出すたびに熱が上がるのだ。
「ねえ。さすがに“僕んとこおいでよ”の意味は理解してるよね?」
「……え、っと……?」
「またまたぁ、分かってるくせにー」
首を傾げ続ける私に、五条さんは仕方ないな、というふうに笑った。
「あ、えっと、同棲しようってことですか?」
「うーん。まあ、それも含むけど」
「ええっ、なんだろ……」
「まあいいや、それはまた改めて。鈍い君でも分かりやすい形で伝えるよ」
指の背で頬をすりすりと撫でられると、体中の力が抜けてしまいそうになる。蕩けきった顔を見られるのが恥ずかしくて、私は誤魔化すように横髪を耳にかけながら「そういえば」と口を開く。
「まだ答えてもらってないです」
「なーにー?」
「なんで私だったんですか?」
どうして私を選んだんだろう、という疑問がずっとあった。見た目も普通、術式もない私を、どうして五条さんは好いてくれるんだろうか、と。
「んー? かわいかったから?」
「……えっ、か、かわい、い?」
「うん。こんなちっさい体でがむしゃらに働いてんのがかわいいなって思ったんだよね」
どんな答えが返ってくるのかと身構えていたので、なんだか肩透かしを喰らってしまった。と同時に、踏ん張りながら必死に働く私を見て、好意的に受け止めてくれていたのだと思うと、自分を肯定された気がしてうれしかった。報われたような気さえした。ああ私、これでよかったんだ。
――ふわり、と香るシトラス。五条さんの香水だ。そう思ったときには、目の前に五条さんの顔があって、唇に柔らかな感触が重なる。
「ということで、行き先は僕んちで」
軽くキスを落とした五条さんは、私の頭を撫でながら言った。「君も寄ってくでしょ?」と。私は鈍くなりつつある頭で、必死に明日の予定を思い返す。あ、朝から会議だ。
「あの、明日は早いので、五条さんを送り届けたら私は帰らせていただき、ます……」
「却下」
「では一緒に夕飯を食べたら――」
「それだけで済むわけないじゃん。するでしょ、分からセックス」
「――は?」
五条さんの放った音を文字に置き換えて脳内処理するのに時間がかかった。
「え、わ…からせ、っくすって……」
「平たく言うと、もんのすごく濃いセックスのことね。だって仕方ないでしょ、あらゆる面で鈍すぎるんだもん。どんだけ僕がお前にゾッコンなのか分からせないと気が済まない」
真顔で言ったかと思えば、「あっ、ゾッコンだって。死語〜」と語尾に星マークでも付きそうなほどの調子で、ころっと表情を変える。そんな五条さんに、私はそれ以上言葉を継げなかった。
そうして「早く車出して」と言われるがままに発車させ、五条さんの家へと向かうのだった。
翌日、生まれたての子鹿のように脚をプルプルと震わせながら出勤した私に、伊地知さんは同情の目を向けた。新人ちゃんは「先輩と五条さんなら推せます!」と、やけに吹っ切れた顔をしていた。「訳ありっぽいんで他の人には言いませんね!」と言っていたけれど、彼女の口は羽よりも軽い。だからもう、五条さんとの関係が公になるのも時間の問題だな――と、昨夜の甘やかな余韻に痺れる腰をさすりながら、私は静かに覚悟した。
赤信号のやわらかい手触り
(2024.01.17)
夢主:
基本的に自分に自信がない。高専卒業後は一般社会で生きようと就活をするも集団面接や圧迫面接でメンタルをえぐられ補助監督の道を選ぶ。
五条から付き合おうと言われたときはドッキリかと思った。でもずっと憧れの人だったし立場的にも断りづらかったので承諾。恋愛感情は徐々に育っていった(五条が育てた)
五条としては恋人特有の甘ったるい雰囲気と温度感で接しているが、鈍感なので「私たちはそんなにラブラブじゃない」と思っている。ので、今後何度も分からされることになる。
術式はないけど人並み以上に体力はある(無自覚)ので五条の激しめセッにも付いていけてる。
五条:
出会った当初は夢主に対して働きアリを観察する気持ちだったけれど、孤軍奮闘する姿が健気だな、伊地知と似てるかもな、こいつは僕を裏切らないだろうなと感じ始めた。ワンチャンあるかもと思って群がってくる女性たちに辟易しているので、そんな素振りが一切ないところにも興味を引かれた。
恋愛初心者の夢主にいろんなことを教えて育成するのが今の楽しみ。実際のところ五条自身もちゃんとした恋愛が初めてなので自分の気持ちの変化を感じるのも楽しい。
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キーワード:手を伸ばしても、なんでもない、笑い事
(提供:@torinaxxさま)
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