「昭和かよ」

 誰もいない夜の教室からグラウンドを見おろしながら、ため息とともにぼそりと吐き出した。文化祭の後夜祭はキャンプファイヤーでフォークダンス。そんなベタで昭和レトロな行事を、あのグラウンドにいる生徒たちは素直に楽しんでいる様子だった。炎の周りに男女の輪が作られ、手を取り合って踊っている。
 食べたばかりの焼きそばが胃の中でもそもそと動き回っているのは、「売り尽くし! 大盛りサービス無料!」という言葉に乗せられて食べ過ぎてしまったせいか、それともこのオクラホマミキサーの陽気で呑気な旋律が吐き気を誘うせいか。

「……楽しそうだなぁ、煉獄くん」

 彼とペアを組んだ女子が頬を赤らめているのが遠目から見ても分かる。男女は順に相手を替えていくので、彼の後ろに控える女子たちが自分の番が巡ってくるのを今か今かと待ち構えている感じも、よく伝わってくる。煉獄くんは音楽に合わせてリズム良く体を動かし、口角をきゅっと上げて何やら楽しげにしていた。フォークダンスは強制ではなく任意参加だ。思春期をこじらせている生徒たちは踊りの輪には加わらず、ダンスを冷やかすように見たり、身を寄せ合って談笑していたりしていた。煉獄くんがダンスに参加したのはきっと、踊る人手が足りないからと文化祭の実行委員に頼まれたからだろう。彼がフォークダンスに加われば釣られて女子が参加するし、女子が参加すれば男子も寄って来る。煉獄くんは人がいいから、委員の子たちから頼まれたら断りきれなかったはずだ。

「いいなあ」

 私も煉獄くんとフォークダンスしたい。そんな心の声は呑み込んだ。
 私があのダンス集団に加わっていないのは、思春期をこじらせているからではない。「煉獄杏寿郎親衛隊」なるものの隊長だからだ。この親衛隊には決まり事が多い。いくら行事とはいえ抜け駆けはご法度なので、あんな公の場で彼とダンスをするのは許されないのだ。
 そもそも私がこの親衛隊に入ったのも、隊長というポジションを得たのも自分の意志ではない。それに隊長だなんて名ばかりだ。隊の運営は副隊長の子たちが行っていて、私はいわばお飾りのようなものだった。幼い頃から煉獄くんのお母さんが開いている習字教室に通っていた私は、一学年上の彼と同じ高校に入学すると同時に強面の先輩方に取り囲まれ、この親衛隊へ強引に入隊させられた。ここでは公平さが重んじられるから、と言われたので泣く泣く習字教室も辞めた。本当は続けたかった。たまに教室を覗きに来ては場を沸かせてくれる煉獄くんのことが、私はもうずっと、高校に入る前からずっと好きだったから。きっとそんな私の好意や煉獄家との接点を嗅ぎつけた人が、煉獄くんから私を引き離すために親衛隊へ入れたのだと思う。勧誘を断ったらよかったのに、なんて頭では分かってる。でも私は自分の気持ちを人に話すことが得意じゃない。それに、有無を言わせないような圧を孕んだあの先輩たちを前にノーとは言えなかった。

「――え?」

 ため息を漏らしながらグランドへ目を向ければ、煉獄くんとばっちり視線が合ってしまった――ような気がする。ここからグラウンドまでは結構距離があるし、炎に照らし出される彼とは違ってこちらは教室の電気も点けておらず暗いので、煉獄くんから私の姿が視認できるとは思えない。
 気のせいだよね、と一瞬胸を高鳴らせた自分を鼻で笑いつつ、一度逸らした視線を再び煉獄くんの方へと戻す。彼はペアを組んでいた女子に頭を下げると、どこか慌てた様子で走り出したのだった。
 ――どこ行くんだろう。トイレかな。
 不思議に思いつつ、彼がまたグラウンドに戻るのをぼうっと待っていた。親衛隊の子たちはグラウンドの四隅に立ち、煉獄くんに告白したりハプニングを偽装して不必要に接近する生徒がいないか目を光らせていた。私は体調不良を理由に帰宅したことになっている。だから、人気のない教室からこうして隠れるようにして煉獄くんを見ていたことがバレたら、きっと面倒なことになる。
 ――みんなが帰宅しはじめるより先に帰らないと。
 そう思って、カバンを手に取ったときだった。

「隊長! ここにいたのか!」

 教室のドアが勢いよく開き、先ほどまでグラウンドにいたはずの煉獄くんが現れたのだった。

「姿が見えないとは思っていたが、まさか校舎に残っていたとは」

 てっきり帰ったのかと。そう言いながら笑う煉獄くんが眩しくて、暗いこの教室に突然陽が差したようで。私は神々しいものを見るように目を細めながら、なんと言葉を返していいか分からずにいた。高校に上がってから二人きりで話す機会なんて、ほとんどなかったから。

「隊長?」

 押し黙る私を心配してか、煉獄くんは首を傾げる。あれはいつのことだったか。私が親衛隊の子に「隊長」と呼び止められたところに通り掛かった彼は、それ以降私のことをそう呼ぶようになった。まさか自分に親衛隊なるファンクラブというものが存在していて、私がそこの「隊長」だなんて思ってもいないだろう。
 静かな教室に、陽気なオクラホマミキサーが流れ込んでくる。煉獄くんはおもむろに私の方へ手を差し出すと、

「隊長も踊ってみないか?」

 そう言って微笑むのだった。
 ――誰もいない教室で、二人きりでオクラホマミキサーを踊るの? 相手が煉獄くんじゃなかったら滑稽で仕方ない光景なのでは? ……いやそれよりこの状況は、まずい。

「……だ、だめ……」

 公平さを欠いてしまう。名ばかり隊長だけれど、親衛隊なんて入りたくもなかったけど、一度やると言ったからには中途半端なことをしちゃいけない。みんなに叩かれる。それは怖い。常に横一列に並んでいなくてはいけない、フライング厳禁の世界なのだ。だから、差し出されたこの手を取ってはいけない。ここにある線を踏み越えてはだめなのだ。

「それもそうだな! 俺もさすがに照れくさい」

 煉獄くんは差し出していた手を引き、そのまま自分の後ろ首を掻きながらどこか誤魔化すように笑った。せっかくの誘いを断ってしまった。それが張り裂けそうなほどに申し訳なくて、意気地のない自分が悔しくて、私はカバンを掻き抱いてその場から逃げようとした。けれど、

「――っ、わ……!」

 不意に伸びてきた手に腕を掴まれ、驚きで声が漏れてしまう。見ると、煉獄くんの大きな手のひらが私の二の腕をぐるりと包んでいた。煉獄くんは何も言わなかったけれど、その目が「どこに行くんだ」と言っているように思えて、

「……私、もう帰ります」

と、自分でも信じられないほどにか細い声で告げた。

「煉獄くんとここにいること、他の子たちに見られたら……なんて言われるか分からないから……」

 腕を掴む力がゆるんでいく。窓から吹き込む夜風が、火照りきった頬を撫でる。

「ずっと感じていた。君は俺を避けているな」

 煉獄くんは少し俯き加減で、唇を結んでいた。
 彼は何も知らないのだ。自分にファンクラブがあることを。そこに私が所属していることを。小さい頃からの顔見知りのはずなのに、高校に入ってからろくに言葉も交わさず、目も合わせずにいれば、それは避けられていると感じて当然だ。

「俺は君と一緒にいてはいけない人間なのか?」

 低く沈んだその声に、罪悪感をかき立てられる。

「私が、煉獄くんと一緒にいちゃいけないの」

 心の中で何度もごめんなさいと繰り返しながら、私は喉を絞るようにして言った。
 煉獄くんが顔を上げて、何か言おうと息を吸ったときだった。廊下の向こうから足音が近づいてきたのだ。
 ――まずい、誰か来る!
 煉獄くんの姿が校舎に消えたので、何かあったのかと親衛隊の子たちが後を追って来たのかもしれない。そう思った私は、身を隠せる場所がないかと教室内をきょろきょろと見渡す。目に入ったのは、夜風に揺れるカーテン。咄嗟にその中へ潜り込んだ私を、煉獄くんがどんな表情で見ていたのかは知らない。高鳴る鼓動を押さえつけながら聞き耳を立てていると、足音は私たちがいる教室の手前で遠ざかっていった。どうやら階段を降りて行った様子だった。  
 ほっと胸の奥底から安堵の息を漏らし、カーテンから出ようとしたとき、

「静かに」

 煉獄くんの声がカーテンの向こうから降ってきた。また誰かの足音が聞こえてきたのだろうか、と身構えていると、カーテンがきゅっと引っ張られるのを感じた。

「れん、ごく――」
「これなら」

 カーテンのざらざらとした感触の向こう側に、確かなぬくもりがあった。

「俺が誰にこうしているのか分からないだろう」

 煉獄くんがカーテン越しに私を抱きしめている。そのことをようやく理解したとき、地面が波打つような感覚に襲われた。カーテンから溶け込んでくる煉獄くんの熱が、私の体内であっちにもこっちにも行けず路頭に迷っていた気持ちまでをも包み込んでいく。

「なあ、隊長」

 ――ああ、もう意気地なしの自分とはお別れしよう。明日、親衛隊を辞めますと伝えよう。だって、煉獄くんとのこのひとときが今夜だけの夢で終わってほしくないと、そう願ってしまったから。
 隊長ではなくただの私になったとき。そのとき、煉獄くんは私のことをなんて呼んでくれるんだろう。




(2022.10.02)


「kmt夢ワンドロワンライン」投稿作。お題「文化祭」で書きました。


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