- し ら ぬ い - ネジは、眉間に深い皺を刻みながら早足で歩いていた。 「明日の会議の弁当を予約してこい」という言葉が耳にこびりついて離れない。会議といっても、上忍が数名集まって、里の警備や中忍試験についてうだうだと話し合うだけで何の実りもないような、あってもなくても良い寄り合いだ。 そこに出席する予定はない。けれど、後輩の務めだからと、弁当だけは買ってくるよう命じられのだった。天才と呼ばれた男にそんな雑用頼むなよ、と周囲は笑っていた。 「あれ、ネジさんだあ」 ネジは弁当屋に着くや否や、握りしめていた注文用紙をカウンターに置く。すると、陽気な声で呼び掛けられる。 ハッと顔を上げると、弁当屋の娘、がカウンターの向こうで「こんにちは」と笑った。 「今日はガイ先生たちと一緒じゃないんですね。ご予約ですか?」 「ああ、これを頼む」 はぐしゃぐしゃになった注文用紙に首を傾げながらも、「はい」と微笑んだ。 木の葉の里にある弁当屋の中でも、ここが一番うまい。そう言って、ガイは任務の時によくこの店の弁当を買い与えてくれた。ガイとリーは肉と米しか入っていないようなスタミナ弁当、テンテンは焼売弁当、ネジは焼魚弁当を好んで食べていた。 ネジより一つ、二つほど年下のは、看板娘として朝から晩まで働き詰めだった。少し抜けているところはあるものの、それも愛嬌として、客からはよくかわいがられていた。 「ネジさん、この後少し時間あります?」 「ない」 「うそ。ちょっとならあるでしょ?」 「……何の用だ?」 「ちょっと」 そう笑って、は厨房へ声を掛ける。そうして前掛けを外しながら「行きましょ」と言うのだった。 何事かと思えば、買い出しの手伝いだった。紙袋いっぱいに詰まった芋や人参を恨めしそうに見つめるネジの隣で、同じく両手に袋をぶら下げるはにこにこと微笑んでいる。 「。俺を都合良く使うのはやめろ」 「え、でもガイ先生が、困ったことがあったらガイ班にいつでも言ってくれって」 「それはあの人が勝手に言っているだけだ」 はあ、と深いため息をつく。 まだが幼いころから店の馴染みだったというガイは、の父親が亡くなってから、母娘二人で切り盛りする弁当屋を支えようと何かと手を貸していた。 その影響なのか、たまに店の前を通ると、の代わりにテンテンが店番をしていることがあるし、リーが宅配の手伝いをしていることもある。二人とも嫌々ではなく進んでやっているというから、ネジはどこまで人が良い連中なのだろうかと半ば呆れていた。が、だからこそここまでガイ班の仲間としてやって来れたのも事実だ。 なぜそこまで手を貸すのかと聞いた時、「なんかちゃんって放っておけなくて」と、テンテンはそう話した。 まあ確かに、それは分かる。ネジは隣で歩くを横目で見やった。 「ネジさん、今日はこれだけじゃないですよ」 「まだ何か買うのか」 「いえいえ」 そう言いながら、は角を曲がり、一軒の店へと入って行く。蕎麦屋だった。ネジが暖簾をくぐるのを躊躇していると、 「ネジさんは、にしんそばでいいですか?」 と、店の中からが言う。 なぜ分かったのだろう。腹が減っていたこと。それにしたって強引だなと思いながらも、好物には敵わず、暖簾をくぐるのだった。 蕎麦屋を出ると、は少し申し訳なさそうな顔をして、ネジを見上げる。 「結局遅くなっちゃいましたね、すみません」 「最初からちょっとでは済まないと思っていた」 「すみません。手伝ってもらったお礼に、私がおご馳走するつもりだったのに……ごちそうさまでした」 「謝ってばかりだな」 「ごめんなさい。……あっ」 は唇をきゅっと噛んだ。 「おいしかったですね、お蕎麦」 「……ああ」 「元気出ました?」 ネジは目を見開く。 「何のことだ?」 「だってネジさん、普段と様子が違ったから。何かあったんですか?」 「……別に」 「前にテンテンさんが言ってたんですけど、ネジさんはよく妬まれるって」 ネジが黙りこくっていると、は手にした袋から何かを取り出そうとごそごそ漁り始める。 「私なんてドジばっかり踏んでるから、ああなりたくないよねって思われるばっかりで。嫉妬なんて一つもされません。妬まれるのと、妬まれもしないのって、どっちがましなんでしょうね?」 何をさらりと残酷な問いを投げ掛けてくるんだろう。ネジは少し目を細めつつ、の動きを見る。 「白眼は使わないでくださいね?」 「使っていない」 「ほんとかな――あっ!」 袋の奥の方まで手を突っ込んだせいか、それとも中身の重みに耐えかねてなのか、袋の底が破けてしまった。それに驚き、もう片方の腕に引っ掛けていた袋もなぜか手放してしまった。芋や玉ねぎなどがごろごろと道を転がり落ちて行く。 「……こんな漫画みたいなことあります?」 はネジを見上げて、気まずそうに笑う。「いいから早く拾え」と厳しく言われ、は慌てて芋を拾い始める。ネジも紙袋を片手に、膝を曲げて落下物を集める。 あらかた拾い上げ、近くの店で貰った新しい袋に詰め終わった時、は消え入りそうな声で、 「本当にすみません」 と頭を下げた。 ネジはその姿に怒る気にもなれず、ふうっと息を吐く。 「何を取り出そうとしたんだ?」 「あ、そうだ」 は袋に手を入れる。慎重に探ったのち、 「これ、不知火です!」 と、不知火を一つ手に乗せ、ネジへ差し出すのだった。 「……なんで不知火だ?」 「最近好きなんです。旬だし。食べたことあります?」 「いや、ない」 「ですよね。見た目だけだと、どうせ酸っぱくて鈍臭い味なんだろうなって思いますよね。デベソなみかんみたいだし」 はオレンジ色のそれをつん、と突く。 「でもね、甘くてみずみずしくて、すごくおいしいんですよ」 何の話をされているんだろうと思いつつ、ネジは小さく頷く。 「おいしいから、最近はお店のお弁当に少し入れてるんです。お口直しにと思って」 「そうか……」 「でも、明日ネジさんに渡すお弁当には入れません」 は、と間の抜けた声を漏らすネジ。は一歩踏み出してネジに近づくと、わけが分からないという表情をしている彼を見上げる。 「明日のお弁当って、ネジさんは食べないんでしょ? いじわるな先輩たちしか食べないんでしょう?」 「――誰からそれを」 「お弁当屋で働いてたら、いろんな噂話が耳に入ってくるから」 はネジの胸元に不知火を軽く押し当てる。 「だから、これはネジさんだけにあげます」 ネジがその不知火を手にすると、はどこかホッとしたように笑った。 「俺をかわいそうなやつみたいな目で見るな」 「えっ、そんな目してました?」 「……俺は気にしていない。雑用を押しつけられるのはさすがに腹が立つが、あんな程度の低いやつらは鼻から相手にしていないからな」 ふんっと鼻で笑ったネジに、は鳩が豆鉄砲を食ったかのように目をぱちぱちとさせる。 「落ち込んではないってことですか?」 「なぜ落ち込む? 俺は腹が立っていただけだ」 そっか、と頷く。歩き始めたネジの後を追いつつ、「ん?」首を傾げる。 ネジはその声に立ち止まり、の方へ振り向く。 「ネジさんにとってお弁当の取りまとめって、雑用なんですか?」 「あ、いや――」 「嫌々うちの店に来てるってことですよね。それはちょっと……悲しいです」 眉を下げ、地面をじっと見つめる。ネジは傍へ寄り、その頭に手を伸ばす。が、思いとどまったようにして手を引っ込めた。 「、こっちに」 ネジは道端のベンチへ寄ると、へそう声を掛けた。は素直に従い、とぼとぼとした足取りで近寄っていく。 「なんですか?」 ネジは抱えていた紙袋をベンチへ置き、不知火の皮を剥きはじめる。 そうして半分に割ると、片方をへ差し出した。 「いいんですか?」 「いいも何も、これはもともとのものだ」 「でもネジさんにあげたんです」 「一人で食うより、こっちの方がいい」 はベンチに腰掛け、荷物を膝に乗せると、ネジから半分の不知火を受け取る。ネジも隣に座ると、不知火を一口頬張った。じゅわ、と溢れる甘い果実に喉が潤う。 「……どうですか?」 「確かにこれはうまい」 は目を輝かせ、自分も不知火をかじる。 「の店に行くことが嫌なわけじゃない」 は頬をリスのように膨らませたまま、ネジの方へ顔を向ける。 「と話すのは、なんというか、苦じゃない」 「苦じゃない?」 「だからその……楽しい、と思う」 そこでネジは息を吐き、体を少し前に倒して、太ももに肘を突く。そうして、参ったように額へ手を当てたまま、を横目で見る。 「つまり言いたいのは、悲しむなってことだ」 一瞬の間を置き、不意にがむせ始めた。ネジはとっさに手を伸ばし、その背をどこか遠慮がちにさする。 「……す、すみません、不知火の汁が、なんか違うところに入っちゃって……」 もう大丈夫です、と言うに、ネジはその手を離す。 「ありがとうございます、ネジさん」 満面の笑みとはこのことを言うのだろう。背中をさすったことなのか、悲しむなと言ったことなのか、その両方か。 ネジはの笑う顔を、瞬きも忘れてただ見つめていた。そんなネジの様子を不思議に思ったのか、「ネジさん?」と首を傾げる。ネジはそこでようやく瞬きをした。 「白眼が乾いちゃいますよ」 「……」 「はい?」 「こんなに店を空けて平気なのか?」 「あ」と「げ」が混じった蛙のような声を出し、 「いけないお母さんに怒られる!」 と、は立ち上がる。その拍子に、膝に乗せていた袋がひっくり返り、中の芋や玉ねぎなどが転がり落ちる。二度目の光景だ。 は「いやぁ」と小さな悲鳴を上げ、その場に力なくへたり込む。ネジは深いため息をついたのち、立ち上がる。そうして涙目のへ手を伸ばすと、 「仕方ないやつだな」 と、目を細めて笑うのだった。 (2021.04.18) メッセージを送る |