「だから違ェっつってんだろーがァ!!」 もう何度目かになるその怒鳴り声に、思わずため息が漏れた。 「“マセガキ”じゃなくて“よい子達”!お前本気でやってる!?もっぺん最初から!」 「いちいち細かい男アルな銀ちゃん。“みんなは世界中の子供達の中からこの夢工場を見学する権利を掴んだ選ばれたよい子達なのだー”。ハイ、これで満足アルか」 「オイ神楽。テメェなんだそのしょうがなく付き合ってやってますよみたいな顔。もとはと言えばテメェが社会見学なんてめんどくせェもん引き受けてくるからこんなことになってんだろーが!」 「私のせいにしないでヨ。銀ちゃんが大人の仕事っぷりを見せらんないからこんなことになったアル。だいたいこの台本、字が汚くて読みづらい」 神楽ちゃんはそう言って、ホッチキスで留められた二枚の紙で顔を扇ぎ出す。余裕たっぷりなその仕草を奥歯をギチギチと噛み締めながら見下ろしていた銀さんは、私の視線に気が付くとこちらに歩み寄って来た。 「神楽が反抗期」 銀さんは私の座るソファの後ろに回り、不貞腐れたように言う。しゃがみ込んで背もたれに顎を乗せた状態で私の耳にそう言ったから、私は「近い。ちょっと離れて」と注意した。唇を尖らせる銀さんと冷笑する神楽ちゃんとを見比べ、これじゃどっちが子どもか分からないなあと思った。 「社会見学か。実は昨日うちのお店にも来てたよ、子ども達」 「ケーキ屋に?」 うんと頷けば、銀さんは「へえ」と先を促すかのように語尾の調子を上げて言った。 「でもみんな私の仕事よりもショーケースのケーキばっかり見て、挙句ヨダレまで垂らしてる子もいてね。その姿がすごく可愛かったから、帰りにケーキ持たせてあげちゃった」 私の言葉に神楽ちゃんは「えー!それなら私も行きたかったアル!」と地団駄を踏んだ。その様子に、やっぱりまだまだ子どもだなあと少し安心して、「今度遊びにおいでよ」と微笑みかけた。そこで、オイオイ、と背後から声が上がる。 「マセガキどもには随分甘ェじゃねーのちゃん。俺にはケーキの手土産なんて持って来たことねェくせによォ」 「だって、銀さんは甘いもの控えなさいってお医者さんに言われてるんでしょ」 「いやァ。ケーキの一つや二つの糖分なんざ大したこたねーよ。いつもそれよりあまーいモン摂っちゃってる俺にとっては」 振り向けば、そこでは銀さんがニヤリと笑んでいた。彼がこういう表情をする時は、決まって何かイヤラしい事を考えている。 私は首を元に戻して銀さんの緩んだ顔を背後に感じながら、それでもあえて訊いてあげる。 「それよりあまーいモンって何?」 「そりゃあ決まってんだろ。いとしのちゃんの――」 「よし、でーきた!神楽ちゃんちょっと着てみてー」 予想通りの答えを遮って、私は神楽ちゃんに手招きした。 「いつもの頼む」と銀さんに呼び出されたのは、今朝の事だった。またかとため息を吐きながらも、今回も長丁場になる事を想定して、途中のスーパーで食材やらを買い込み、万事屋へやって来た。いつものとは、衣装作りのことだ。万事屋が仕事で使うコスチュームなどは、出費を抑えるためにほとんどが手作りだ。(どうもコスプレをやめるという選択肢は無いらしい。) そしてその衣装係りを、たまたま銀さんの彼女になってたまたま裁縫が得意だった私が任されている。(こうやって私が「たまたま」を連呼すると銀さんはニヤける。) 今回の彼らの小芝居はどうも気合いが入っているようだった。今は新八君も帰ってしまって銀さんと神楽ちゃんだけだが、夕方までは真選組の局長と副長、さっちゃんさんや吉原の番人さん、長谷川さんらも、この万事屋で練習会に参加していた。私はみんなの邪魔にならないように、居間の隣の和室で繕い物を続けていた。(本当のことを言えば、さっちゃんさんにあまり良く思われていない私を銀さんが和室に隠した。前に襲われそうになったことがあるから。) そうやって私が万事屋へ出張に来て、かれこれもう十四時間は経とうとしている。衣装作りに没頭すると他のことに手が回らなくなるので、私が買って来た食材を使って新八君が昼食を、銀さんが夕食を用意してくれた。食事やトイレの時間以外はずっと針を通し続け、今ようやく神楽ちゃんの衣装が出来上がったのだ。 完成したばかりの赤いジャケットに神楽ちゃんが腕を通すのを見ながらも、疲労と眠気で頭がクラクラしていた。 「袖の長さとかどう?肩はきつくない?」 「ぜーんぜん!ぴったりアル!さっすがネ!」 くるっと回って見せた神楽ちゃんは「ありがとう」と笑った。その無邪気な笑みに疲れはどこかへ飛んで行った。今回は『チャーリーとチョコレート工場』を意識しているらしく、帽子を被り杖を持って小さなウォンカになった神楽ちゃんは、とても愛らしかった。「うん、可愛い」私がそう言うと、神楽ちゃんはますますニコーッと笑んだ。いつか河童の衣装を作って試着させた時は、衝撃的なほど可愛かった。新八君も。銀さんはエロ河童だけど、やっぱり可愛らしかった。 こうやって自分が縫った物を着て喜んでもらうと嬉しい。私はしばらく小さなウォンカを満足気に眺めていた。 「お疲れさん。いつも悪ィな」 不意に首筋に冷たさを感じて思わず「ひゃっ」と声が漏れた。振り返ると、銀さんが缶ビールを持って立っている。びっくりするじゃない、と眉根を寄せながら缶を受け取ると、銀さんは笑った。 「んじゃ神楽、最後にもういっぺん通すぞ!」 「えーまだやるアルかー」 「ったりめーだろ。ちょっとでもミスってみろ。またマセガキどもの笑いモンだ」 私はソファに深く腰を沈めて缶を開けながら、再び始まった二人の練習を見学する。ところでパトリオットって何?と訊きそうになったけど、珍しく真剣な銀さんを邪魔してはいけないと思い、ビールと一緒に言葉も飲んだ。冷えたビールがとても美味しい。 銀さんはよほどショックを受けたらしい。昨日の社会見学で万事屋を訪れた子どもの中に、彼曰くひどくマセた子が居たらしく、その子に「万事屋なんてゴミみたいな仕事」だの「社会の底辺を見せてくれてどうも」だのと言われたそうだ。これが相当響いたらしい。彼はドSのくせに打たれ弱いから、と思っていたが、今日万事屋に来た面々も、これもまた社会見学で接した子どもにそれぞれ敗北したらしく、銀さんのメンタルがどうという問題では無いのかもしれないと考えを改めた。 ごくごくと喉を鳴らしてビールを飲みながら、昨日の事を思い返していた。マセガキ、ねぇ。 「違ェ!」という銀さんの声が轟いた。その拍子に記憶が蘇り、ああ確かに、と口を突いて出た。銀さんも神楽ちゃんもこちらに目をやる。 「確かに最近の子って少しマセてるかもね。昨日私のお店に来た男の子にね、こんなこと言われたの。お姉さんの家も社会見学させてよって。あれにはさすがにびっくりしちゃったなあ」 あはは、と笑ってまたビールを一口飲んだ。あの子は将来どんな男になるんだろう。ちょっと心配。 まだ笑いが治まらないでいると、パンパンと手を叩く音が私の笑い声をかき消した。 「ハイ神楽。予行練習はこれでおしまーい。ハイ寝た寝たー」 「は、何アルか?突然。今夜は寝かせねェからなって言ったのはどこのどいつだヨ」 熱血指導を行っていた銀さんの態度が豹変したことには、さすがの神楽ちゃんも少し困惑したようだった。 「いーからよい子はもう寝ろ!三百円あげるから!」 有無を言わせぬような銀さんの言葉に、神楽ちゃんは「何なんだヨもう」と不満を言いながらも居間を出て行こうとした。何となく気まずくなって、私もソファから立ち上がり、その背に声を掛ける。 「私も繕い物で疲れちゃった。神楽ちゃん、一緒に寝よっか」 神楽ちゃんはいつも押入れで眠っている。狭いけれど身を寄せ合えば何とか女二人は入れる。万事屋に泊まる時はだいたい銀さんと和室で寝るのだが、私の都合だったりケンカだったりで銀さんと布団を並べない時は、神楽ちゃんにお世話になる。神楽ちゃんは私の胸に顔を埋めて眠るのが好きらしく、一緒に寝ようと言えばいつでも歓迎してくれる。だから今も「うん!」と目を輝かせながら頷いてくれた。 飲みかけの缶をテーブルに置いて、神楽ちゃんの後を追おうと銀さんの隣を通り過ぎようとすると、ぐいと腕を引かれた。 「お前はだめ」 「……どうして?」 「大人はまだ寝ちゃだめなの」 「大人も子どもも関係ないよ。私も眠いの」 「じゃあ俺の部屋で寝れば良いだろ?」 神楽ちゃんには聞こえないほど低く声を落として銀さんは言った。ああ、始まった。私は諦めにも似た笑みをこぼした。 「オラ神楽、行った行った」 ちぇっと神楽ちゃんは舌打ちを残し、居間を出た。ガラガラ、ピシャン。ドアが閉まる。 神楽ちゃんの足音が聞こえなくなると、銀さんは腕を引っ張り、その胸に私を閉じ込めた。 「どこのどいつだ。銀さんの女に手ェ出そうとしたそのマセガキはよォ。そいつのドッキリマンシール全部破り捨てて来てやる」 「もう。子どもに嫉妬してどうするのよ。そんなんだから馬鹿にされるんだよ。もう少し余裕を持ちなよ。大人の余裕を」 まったくもう、とため息をひとつ。すると銀さんは私の頭を自分の胸板に押し付けた。 「お前の事に関しては余裕ぶっこいてなんかいられねーの」 なにそれ。私は自分の鼻が銀さんの胸に押しつぶされてゆくのに甘い痛みを感じながら、そう言った彼の表情を想像していた。 身体だけ立派になって、心はまだまだ少年だ。銀さんは自分でよく言うけど、本当にそうなんだなあ。独占欲が強いところは、自分が触れた物は全て自分の玩具なんだと言い張る子どものようだ。それは言い過ぎかな。でも私の事に関しては、本当にそれほどだった。自惚れなんかじゃなくて。 腕の力が緩んだと思えば、顎を持ち上げられた。銀さんの目に自分の顔が映り込んでいる。顔が近づく程に視界が狭くなってゆく。あと少しで銀さんの甘い唇に触れる。そのとき。 「わっすれものー」 まるでタイミングを見計らっていたかのように居間のドアが開き、神楽ちゃんがずかすがと室内に入って来た。銀さんも私も瞬時に体を離していたが、互いに挙動不審で、神楽ちゃんは「どうしたアルか二人とも。何か探し物?」と首を傾げた。 「オ、オメェこそ!何だよ忘れ物って!」 「台本。寝る前にもっかい読んでおこうと思って」 床の上に放りっぱなしだった紙を拾い上げた神楽ちゃんに、銀さんは思わず「ほお」と感心したような声を漏らした。 「そんだけ。じゃ、オジャマムシはとっとと消えるネ」 ひらひらと手を振りながらドアまで戻る神楽ちゃんに、銀さんと私は顔を見合わせた。 神楽ちゃんは後ろ手でドアを閉めていたが、完全に閉め切る前にピタリと止まった。そしてその隙間から顔を覗かせて言った。 「どーせ銀ちゃん、にイヤラしい事するつもりなんだろ。私全部知ってるからな」 ひどく大人びたその表情と言葉は、正真正銘の大人である銀さんと私がマセガキになったかのように錯覚させた。 ピシャンと閉まったドアを呆然と見つめる銀さんが、「誰かあいつをネバーランドに閉じ込めてくれ」と言ったので、私もそれに頷いた。 (2011.4.13) |