五条がまた、新しい彼女を連れている。
「わあ! 見て見て悟くん! かわいー!」
「ほんとだ、かわいいねー」
届いたパフェにはしゃぐ彼女は、きゅるんきゅるんに輝かせた目で隣席の五条を見上げている。目の前で繰り広げられているパフェを愛でる会に、私は人知れずため息を漏らす。
何をトチ狂ったのか、五条は彼女との食事の席に元カノである私を呼んだ。食事の席といっても高級料理店ではなくファミレスだ。食事は別で済ませたらしく、どうにも口が締まらなくてスイーツだけ食べに立ち寄ったとのことで、口直しついでに誰か呼ぼうという話になり、私に白羽の矢が立ったらしい。完全に人選ミスだろ。はたしてこの彼女は私が五条と付き合っていたことを知ってるのか? それともそれは知った上で、「仕事の話がある」という五条の嘘にまんまと引っ掛かってのこのこ現れた私を、心の中で嘲笑ってるのか?
「ねえねえ、かわいいと思いませんか? 私イチゴ大好きで」
「あ、そうなんですねー。あ、ほんとだイチゴがいっぱいだー」
彼女に同意を求められだけれど、専門店でもあるまいしファミレスのパフェにかわいい要素なんて特にないと思うので、かわいいという言葉は避けつつ返事をした。彼女はどうやらイチゴが乗っていればなんでもかわいいらしく、五条が食べているパンケーキに添えられたイチゴにも「かわいー!」と言っていた。
五条は感情のこもらない私の返答がおかしかったのか、くくっと小さく笑った。
「……そろそろ帰ってもいいですか?」
言った。ついに言ってやった。店に到着して三十分。これでも辛抱した方だ。私がヒラの補助監督で、五条が特級術師じゃなかったら、もうとっくの昔に帰ってた。
「えっ、もう少し居てくださいませんか? まだ悟くんのお話聞けてないから」
「はい?」
「悟くんの昔のお話。お二人は学生時代からの友人なんですよね? 悟くんってどんな男の子だったんですか? 知りたいなあ」
私が眉間に深い皺を刻むのを、五条は頬杖を突きながらおもしろそうに見ていた。
「……お察しの通りの男の子ですよ」
「えー? お茶目で優しい?」
彼女は五条を上目で見上げ、ふふっと笑う。私は、それはそれは小さな声で呟く。「滅茶苦茶で軽薄」と。彼女には聞こえていない様子だったけれど、五条はどうだろう。少し目を細めて私を見ている。
五条と私は同級生で、卒業後に付き合い始めた。在学中はいろんなことがあったから恋愛云々言ってられなかったし、何より私は五条を異性として意識したこともなかった。私たちの始まりは、なんてことない、どこにでもあるような話だ。ある台風の日に補助監督として五条の任務に同行して、差していた傘が風に破壊されてずぶ濡れになる私と、無下限バリアを使えばいいのになぜか自分もずぶ濡れになってた五条。びちょびちょに濡れた体を乾かすためにホテルに入って、部屋のいやらしい照明のせいか疲労のせいだかなんだかで五条が良い男に見えて、それで……。私はてっきりワンナイトだと思っていたけれど、「同級生に軽はずみで手出すわけないでしょ」と言う五条に押されるかたちで付き合うことになった。それを伝えたときの硝子は、五条を見ながら「やっと?」と笑っていた。どうやら五条は学生時代から私を異性として見ていたらしい。知らなかった。知らないから、体術訓練の後とか普通に五条の前で着替えたりしてた。やだ怖すぎ。
「あ、飲み物なくなっちゃったぁ」
「取って来ようか? 何がいい?」
「んー……悟くん、一緒に行こ?」
彼女が五条の腕に絡みつき、二人は一緒にドリンクバーの方へと歩いて行った。……何あれ。胃もたれする。五条って人のために飲み物取ってくるような男だっけ。その昔私と二人でファミレスに行ったとき、コーヒーのおかわりをしに行く私に「コーラよろしく」と言い放って自分は一歩も動かなかったのに?
「優しいんだね」
どうやら彼女はそのままレストルームに向かったらしい。二人分のドリンクを手に一人戻ってきた五条にそう言うと、五条はサングラスをくいと押し上げながら「そ?」と上機嫌に答えた。
「五条はああいう子好きだよね」
「扱いやすいからねー。僕がいないと生きていけない、みたいな子」
「……へえ」
「でもは違うよね。僕がいなくても全然平気でさ」
五条といると疲れる。同級生だったということもあるのか、それとも単に私の負けん気が強いだけなのか。張り合ってしまうし、素直に甘えられない。諸々の差を感じて自分が惨めに感じる。それは別に五条が悪いんじゃない。私が、勝手に疲れてしまうだけ。だから別れた。
「……別に、平気だったわけじゃ――」
レストルームから出てくる彼女の姿に、私は口をつぐむ。リップを塗り直したのか、ぷっくりと艶やかな淡いピンク色。そんな彼女の唇を見ながら、私は咄嗟によぎった思いを打ち消すように首を振った。その唇で五条とキスしてるんだ、と思ってしまったから。
「帰ります」
逃げるように店を出てようとしてから、ああ、コーヒー代払ってないや、と気づいた。私はレジに向かい、「あそこのテーブルのお会計を……」と店員に告げながら、五条と彼女の姿をちらと見る。二人で身を寄せながらきゃっきゃと笑っていた。私なんて最初からいなかったかのように。何、あれ。胃もたれする。
財布からお札を出しながら思った。私は昔から自分のものは自分で支払うし、奢られるぐらいなら奢りたい。自分の事に他人のお金を費やされると、引け目を感じてしまうから。たぶん五条は、私のこういうところが、嫌い。
◇◇◇
未練なんて一つもないと思ってた。
「五条といると疲れる。私が勝手に疲れちゃうだけだから。五条は悪くないよ。でもごめん、別れたい」
そう言われたとき、ああじゃあ仕方ないか、と思った。人の心なんてものは、どんなに良い目を持ってたって見えないから。自分の知らないうちに変わりゆくもので、こっちがどう足掻いたってきっと変えられないものだから。
「あいつと別れたけど未練はないよ、もう他の女の子と遊んだりしてるし」と硝子に言ったとき、こう言われたっけ。「執着してたまるか、っていう執着心が見えるんだけど」と。そんなわけない。もしあいつに新しい恋人ができたなら、おめでとうって言えるよちゃんと。まあ実際、あいつに僕以外の彼氏なんてできるわけないと思うけど。だってあんな強がりが? なんでも自分でやっちゃうような可愛げのない女に惚れる物好きな男なんて、そうそういなくない?
「……は?」
五条の低い声に、伊地知はヒュッと息を呑んだ。ミラー越しに後部座席の五条を盗み見る。彼は車窓の外を見ていた。伊地知もそちらへ目を向ける。そこは飲み屋街で、その路地には自分もよく知る女性がいた。
「伊地知、止めて」
そう言われて伊地知が路肩に停車すると、五条は荒々しくドアを開けて出て行った。
**
「はー? ゴジョー?」
五条が声を掛けると、は今にも閉じそうな目を一瞬丸めた。しかしすぐに隣にいた男の肩にもたれ掛かり、シッシと五条を手で払うような仕草をしてみせた。かなり酔っている。
「君は何?」
「あ、えっと自分は……」
「ゴジョーには関係ないでしょー?」
五条に冷ややかな声で問われた男性の腕を、が庇うように引き寄せる。五条はそれ以上何も言わなかったが、男性は察したのか、やんわりとの手をほどいて、そそくさとその場を後にした。
「あーあー、五条のせいで振られちゃったじゃん」
「は? 何それ」
「えっなに? 怒ってる?」
「別に。見苦しいもん見て気分悪いだけ」
「勝手に見に来たくせに」
は五条を恨めしそうな目で見上げた後、ふいっとそっぽを向いて歩き出した。五条はポケットに両手を突っ込み、そんな彼女の後ろを付いて歩く。
「私にだってね、誰かに寄り掛かりたくなる夜もありますよーだ」
「あの男のこと好きなの?」
「はー? 初めて会った人にすぐ惚れるような女じゃないです私」
「でもワンチャン行こうと思ってたでしょ」
はぴたりと立ち止まる。五条も足を止めると、彼女の背後からその顔を覗き込んだ。
「図星だ」
「っ、うるさい!」
は五条から距離を取りつつ、「ていうかさ!」と語気を強める。
「私に好きな人ができようが、行きずりの男とワンナイトしようが、五条には関係ないよね? 自分にはかわいい彼女がいるんだからさ」
五条の反応を見るのが怖いのか、はすぐに視線を逸らすと、逃げるように駆け出す。しかし五条は、言い逃げをさせてやるような男ではない。彼女の腕を掴むと、強引に自分の方を向かせた。
「面白くないんだよ、お前が他の男になびくのは」
まるで口から転び出たようなその言葉に、五条は自分でも驚いた。まさか自分がそんなことを思っていたなんて。
はそんな五条の言葉に一瞬面食らったように目を見開いたが、すぐに眉根を寄せた。怒るときとはまた違う表情だ。だって眉間が、唇が、ふるふると震えているから。
「私だって面白くなかったよ、ずっとずーっと! 五条に新しい彼女ができるたびに! でも私は自分から振っちゃったからさ、疲れるからなんて、自分勝手な理由で別れちゃったから、今さら戻りたいなんて言えなくて……でも、ほんとはずっと――」
がそこで言葉を切ったのは、往来の注目を浴びていることに気づいたせいだけではない。唐突に冷静になったのだ。
髪を掻き上げながら深い息を吐き、
「ごめん忘れて」
と、再び五条に背を向ける。
五条はそんな彼女の手を取り、すぐ傍らの細い路地へと入る。空き缶や食べ物の容器などのゴミが散乱するような、建物と建物の間の薄暗い路地。
は五条に掴まれた手を見下ろしながら、五条にこんな繁華街の薄汚い場所は似合わないな、と思った。そうだ、似合わない。五条に私は似合わない。こんな強情張りの女といれば、五条だって疲れるはず。ただでさえ難解な日々を生きてるような人なんだから、恋人と過ごす時間ぐらい気を張らず、癒されたいはずだ。私なんかじゃあ、だめだ。
「」
五条は彼女の名前を口にすると、きつく抱き寄せた。しかしはその腕の中で抗うようにもがく。
「やめて、離して。五条は浮気するようなクズ男にならないで」
「じゃあ別れたらいい?」
「いや、そういうことじゃ……」
「そういうことでしょ?」
「だめなんだって、私なんかじゃ五条を、五条を……」
「僕を何」
「――い、癒せないもん」
ぶっ、と噴き出した五条に、は目を丸くする。
「別に求めてないよ癒しなんて」
「で、でも私といると疲れるでしょ?」
「いいや? あー、楽しすぎて疲れるってのはあるかもだけど。ていうかお前でしょ、僕といると疲れるって言ったのは」
喉をくつくつと鳴らしながら笑う五条は、おもむろにスマホを取り出す。そうして「もしもし?」と通話を始めた。
「諸々の事情があってさ、別れてほしいんだよね。なんでって、だから事情があって。あー教えてほしい? ほんとに聞いちゃう? 聞いたらなおさらショック受けるんじゃない?」
電話の相手が誰だか察したは、信じられないものを見るような目で五条を見上げる。
「好きな子がいるんだ。昔からずっと、そいつのことが一番好きだった」
なんだ、それ。間接的に告白を受けたかたちのは、電話の向こうから漏れ聞こえてくるさめざめとした泣き声に唇を結ぶ。
五条は「それじゃ」と電話を切った。そうして何やらスマホを操作している。おそらくは今振ったばかりの彼女を着信拒否にした上で、連絡先を削除しているのだろう。
「……サイテー。電話一本で別れやがった」
「元から本気じゃなかったし」
「血も涙もない男だ」
「そりゃどうも」
は俯き、足元に転がる空き缶を爪先でつんつんと小突く。
「私、五条に甘えらんないの」
「うん。知ってる」
「いいの? そんな可愛げのない女で」
五条も目線を下げ、が小突いている空き缶を見た。
「はさ、僕に甘えることが負けだと思ってる?」
えっ、と顔を上げたに、五条は「図星」と軽く笑った。
「甘えてよ。お前のわがまま受け入れられないほど器の小さい男じゃないよ? そりゃ昔の僕はまだケツの青いガキだったからお前に甘えてばっかだったかもだけど、今はほら、こないだ見たと思うけど他人の飲み物だって取りに行くし?」
「……その程度のことで大きい顔しないでよね」
言いながら、は堪え切れなかったのか、ふっと笑った。
五条は腰を屈め、の足元に転がっていた空き缶を手に取ると、術式でぐしゃりと圧縮した。
「ていうかさ、僕に勝とうとしてる時点で身の程知らずなんだって気づいたら? そしたら諦めがついて張り合おうとすら思わなくなるよ」
「は? ……何それ、ムカつく」
はその場にしゃがみ込み、他の空き缶を拾って五条に渡す。
「なんだよ」
「業者さんが空き缶潰す手間を省いて差し上げようかと。清掃活動。地域貢献の一貫」
「はー? そういうつもりで潰してたわけじゃないよ僕」
「いいじゃん、ほら、これもお願い」
五条は面倒くさそうに息を吐いたが、の「お願い」という言葉には頬をゆるめた。
二人は少しの間、何も言わずに缶を潰していた。そうしながら、が静かに口を開く。
「全然かわいくないけど、五条のタイプじゃないと思うけど、でも……もし叶うなら、もう一回、私を好きになってほしい」
小さくなった缶を手の上で転がしていた五条は、ふと動きを止めた。そうして、両膝を抱えて恥ずかしそうにチラチラと視線を向けてくるの姿に、静かに笑う。
「言ってんじゃん。さっき聞いてなかった? 昔からずっと一番好きだって」
まっすぐに返ってきた言葉に、は唇をきゅっと結び、あたりに転がる圧縮済みの缶を手に取った。赤、黄、緑、黒、水色。小さくなった缶を地面に横一列に並べる。そんな無意味な彼女の行動を、五条はおもしろそうに見つめていた。そこで、不意に顔を上げたと五条の目線がぶつかる。
「私べつに、五条がいないと生きていけないなんて思ってない。でも五条といる人生の方が、たぶん、楽しいんだろうなとは思う」
「……何これ、僕プロポーズされてる?」
二人は、同時にプッと噴き出し笑い合った。無意味に並べられた缶の列に、五条は手の上で転がしていた白い缶を加えると、の頬に手を添え、静かにキスをするのだった。
僕のきっと純白なそれは君に
(2025.05.17)
本当に好きな人以外には残酷なほど薄情な五条です。
*ういさんからのリクエスト
「サバサバした夢主とは正反対の可愛らしいタイプの女の子(モブ)と付き合っている五条。元カノの夢主に男の影があるとなんかムカついちゃって、それが未練だって気づいて……」
ありがとうございました!
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